か》いた、小松葺《こまつたけ》、大きな蛤《はまぐり》十ばかり一所に転げて出そうであったが。
 舞台に姿見の蒼《あお》い時よ。
 はじめて、白玉のごとき姿を顕す……一|人《にん》の立女形《たておやま》、撫肩しなりと脛《はぎ》をしめつつ褄《つま》を取った状《さま》に、内端《うちわ》に可愛《かわい》らしい足を運んで出た。糸も掛けない素の白身《はくしん》、雪の練糸《ねりいと》を繰るように、しなやかなものである。
 背丈|恰好《かっこう》、それも十一二の男の児が、文金高髷の仮髪《かつら》して、含羞《はにかん》だか、それとも芝居の筋の襯染《したじめ》のためか、胸を啣《くわ》える俯向《うつむ》き加減、前髪の冷たさが、身に染む風情に、すべすべと白い肩をすくめて、乳を隠す嬌態《しな》らしい、片手柔い肱《ひじ》を外に、指を反らして、ひたりと附けた、その頤《おとがい》のあたりを蔽《おお》い、額も見せないで、なよなよと筵《むしろ》に雪の踵《かかと》を散らして、静《しずか》に、行燈の紙の青い前。

       十二

 綿かと思う柔《やわらか》な背を見物へ背後《うしろ》むきに、その擬《こしら》えし姿見に向って、筵に坐ると、しなった、細い線を、左の白脛《しらはぎ》に引いて片膝を立てた。
 この膝は、松崎の方へ向く。右の掻込《かっこ》んで、その腰を据えた方に、美しい女《ひと》と紳士の縁台がある。
 まだ顔を見せないで、打向った青行燈の抽斗《ひきだし》を抜くと、そこに小道具の支度があった……白粉刷毛《おしろいばけ》の、夢の覚際《さめぎわ》の合歓《ねむ》の花、ほんのりとあるのを取って、媚《なまめ》かしく化粧をし出す。
 知ってはいても、それが男の児とは思われない。耳朶《みみたぼ》に黒子《ほくろ》も見えぬ、滑《なめら》かな美しさ。松崎は、むざと集《たか》って血を吸うのが傷《いたま》しさに、蹈台《ふみだい》の蚊《か》をしきりに気にした
 蹈台の蚊は、おかしいけれども、はじめ腰掛けた時から、間を措《お》いては、ぶんと一つ、ぶんとまた一つ、穴から唸《うな》って出る……足と足を摺合《すりあ》わせたり、頭《かぶり》を掉《ふ》ったり、避《よ》けつ払いつしていたが、日脚の加減か、この折から、ぶくぶくと溝《どぶ》から泡の噴く体《てい》に数を増した。
 人情、なぜか、筵の上のその皓体《こうたい》に集《たか》らせたくないので、背後《うしろ》へ、町へ、両の袂を叩いて払った。
 そして、この血に餓《う》えて呻《うめ》く虫の、次第に勢《いきおい》を加えたにつけても、天気模様の憂慮《きづかわ》しさに、居ながら見渡されるだけの空を覗《のぞ》いたが、どこのか煙筒《えんとつ》の煙の、一方に雪崩《なだ》れたらしい隈《くま》はあったが、黒しと怪《あやし》む雲はなかった。ただ、町の静《しずか》さ。板の間の乾《から》びた、人なき、広い湯殿のようで、暖い霞の輝いて淀《よど》んで、漾《ただよ》い且つ漲《みなぎ》る中に、蚊を思うと、その形、むらむら波を泳ぐ海月《くらげ》に似て、槊《ほこ》を横《よこた》えて、餓えたる虎の唄を唄って刎《は》ねる。……
 この影がさしたら、四ツ目あたりに咲き掛けた紅白の牡丹《ぼたん》も曇ろう。……嘴《はし》を鳴らして、ひらりひらりと縦横無尽に踊る。
 が、現《うつつ》なの光景《ありさま》は、長閑《のどか》な日中《ひなか》の、それが極度であった。――
 やがて、蚊ばかりではない、舞台で狐やら狸やら、太鼓を敲《たた》き笛を吹く……本所名代の楽器に合わせて、猫が三疋。小夜具《こよぎ》を被《かぶ》って、仁王|立《だち》、一斗|樽《だる》の三ツ目入道、裸の小児《こども》と一所になって、さす手の扇、ひく手の手拭、揃って人も無げに踊出《おどりいだ》した頃は、俄雨《にわかあめ》を運ぶ機関車のごとき黒雲が、音もしないで、浮世の破《やぶれ》めを切張《きりばり》の、木賃宿の数の行燈、薄暗いまで屋根を圧して、むくむくと、両国橋から本所の空を渡ったのである。
 次第は前後した。
 これより前《さき》、姿見に向った裸の児が、濃い化粧で、襟白粉《えりおしろい》を襟長く、くッきりと粧《よそお》うと、カタンと言わして、刷毛《はけ》と一所に、白粉を行燈の抽斗《ひきだし》に蔵《しま》った時、しなりとした、立膝のままで、見物へ、ひょいと顔を見せたと思え。
 島田ばかりが房々《ふさふさ》と、やあ、目も鼻も無い、のっぺらぼう。
 唇ばかり、埋め果てぬ、雪の紅梅、蕊《しべ》白く莞爾《にっこり》した。
 はっと美しい女《ひと》は身を引いて、肩を摺《ず》った羽織の手先を白々と紳士の膝へ。
 額も頬も一分、三分、小鼻も隠れたまで、いや塗ったとこそ言え。白粉で消した顔とは思うが、松崎さえ一目見ると変な気がした。
 そこへ、件《くだん
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