》つて、水の面《おも》を舞つて来るのを、小法師《こほうし》は指の先へ宙で受けた。つはぶきの葉を喇叭《らっぱ》に巻いたは、即《すなわ》ち煙管《きせる》で。蘆《あし》の穂といはず、草と言はず※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り取つて、青磁色《せいじいろ》の長い爪に、火を翳《かざ》して、ぶく/\と吸《すい》つけた。火縄を取つて、うしろ状《ざま》の、肩越《かたごし》に、ポン、と投げると、杉の枝に挟まつて、ふつと消えたと思つたのが、めら/\と赤く燃上《もえあが》つた。ぱち/\と鳴ると、双子山颪《ふたごやまおろし》颯《さっ》として、松明《たいまつ》ばかりに燃えたのが、見る/\うちに、轟《ごう》と響いて、凡《およ》そ片輪車《かたわぐるま》の大きさに火の搦《から》んだのが、梢《こずえ》に掛《かか》つて、ぐる/\ぐる/\と廻る。
此の火に照《てら》された、二個の魔神の状《さま》を見よ。けたゝましい人声《ひとごえ》幽《かすか》に、鉄砲を肩に、猟師が二人のめりつ、反《そ》りつ、尾花《おばな》の波に漂うて森の中を遁《に》げて行く。
山兎《やまうさぎ》が二三|疋《びき》、あとを追ふやうに、躍《おど》つて駈《か》けた。
「小法師、あひかはらず悪戯《いたずら》ぢや。」
と兜《かぶと》のやうな額皺《ひたいじわ》の下に、恐《おそろ》しい目を光らしながら、山伏《やまぶし》は赤い鼻をひこ/\と笑つたが、
「拙道《せつどう》、煙草《たばこ》は不調法《ぶちょうほう》ぢや。然《さ》らば相伴《しょうばん》に腰兵糧《こしびょうろう》は使はうよ。」
と胡坐《あぐら》かいた片脛《かたずね》を、づかりと投出《なげだ》すと、両手で逆に取つて、上へ反《そら》せ、膝《ひざ》ぶしからボキリボキリ、ミシリとやる。
「うゝ、うゝ。」
「あつ。」
と、武士《さむらい》と屑屋は、思はず声を立てたのである。
見向きもしないで、山伏は挫折《へしお》つた其の己《おの》が片脛を鷲掴《わしづか》みに、片手で踵《きびす》が穿《は》いた板草鞋《いたわらじ》を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り棄《す》てると、横銜《よこぐわ》へに、ばり/\と齧《かじ》る……
鮮血《なまち》の、唇を滴々《たらたら》と伝ふを視《み》て、武士《さむらい》と屑屋は一《ひと》のめりに突伏《つっぷ》した。
不思議な事には、へし折つた山伏の片脛のあとには、又おなじやうな脛が生えるのであつた。
杉なる火の車は影を滅《け》した。寂寞《せきばく》として一層もの凄《すご》い。
「骨も筋もないわ、肝魂《きもたましい》も消えて居る。不便《ふびん》や、武士《さむらい》……詫《わび》をして取らさうか。」
と小法師が、やゝもの静《しずか》に、
「お行者よ。灸《きゅう》とは何かな。」
七
此の間《ま》に――
「塩辛《しおから》い。」
と言ふ山伏《やまぶし》の声がして、がぶ/\。
「塩辛い。」
と言つて、湖水の水を、がぶ/\と飲んだ――
「お行者《ぎょうじゃ》。」
「其の武士《さむらい》は、小堀伝十郎《こぼりでんじゅうろう》と申す――陪臣《ばいしん》なれど、それとても千石《せんごく》を食《は》むのぢや。主人の殿《との》は松平大島守《まつだいらおおしまのかみ》と言ふ……」
「西国方《さいこくがた》の諸侯《だいみょう》だな。」
「されば御譜代《ごふだい》。将軍家に、流《ながれ》も源《みなもと》も深い若年寄《わかどしより》ぢや。……何と御坊《ごぼう》。……今度、其の若年寄に、便宜《べんぎ》あつて、京都比野大納言殿より、(江戸隅田川の都鳥《みやこどり》が見たい、一羽首尾ようして送られよ。)と云ふお頼みがあつたと思へ。――御坊の羽黒、拙道《せつどう》の秋葉に於いても、旦那《だんな》たちがこの度《たび》の一儀《いちぎ》を思ひ立たれて、拙道|等《ら》使《つかい》に立つたも此のためぢや。申さずとも、御坊は承知と存ずるが。」
「はあ、然《そ》うか、いや知らぬ、愚僧|早走《はやばし》り、早合点《はやがってん》の癖で、用だけ聞いて、して来いな、とお先ばしりに飛出《とびで》たばかりで、一向《いっこう》に仔細は知らぬ。が、扨《さて》は、根ざす処《ところ》があるのであつたか。」
「もとよりぢや。――大島守《おおしまのかみ》が、此の段、殿中に於いて披露に及ぶと、老中《ろうじゅう》はじめ額《ひたい》を合せて、
此は今めかしく申すに及ばぬ。業平朝臣《なりひらあそん》の(名にしおはゞいざこととはむ)歌の心をまのあたり、鳥の姿に見たいと言ふ、花につけ、月につけ、をりからの菊《きく》紅葉《もみじ》につけての思《おも》ひ寄《より》には相違あるまい。……大納言|心《こころ》では、将軍家は、其の風流の優しさに感じて、都鳥をば一番《ひとつがい》、そつと取り、紅《くれない》、紫《むらさき》の房《ふさ》を飾つた、金銀|蒔絵《まきえ》の籠《かご》に据《す》ゑ、使《つかい》も狩衣《かりぎぬ》に烏帽子《えぼし》して、都にのぼす事と思はれよう。ぢやが、海苔《のり》一|帖《じょう》、煎餅《せんべい》の袋にも、贈物《おくりもの》は心すべきぢや。すぐに其は対手《あいて》に向ふ、当方の心持《こころもち》の表《しるし》に相成《あいな》る。……将軍家へ無心《むしん》とあれば、都鳥一羽も、城一つも同じ道理ぢや。よき折から京方《かみがた》に対し、関東の武威をあらはすため、都鳥を射《い》て、鴻《こう》の羽《はね》、鷹《たか》の羽《は》の矢を胸《むな》さきに裏掻《うらか》いて貫《つらぬ》いたまゝを、故《わざ》と、蜜柑箱《みかんばこ》と思ふが如何《いかが》、即ち其の昔、権現様《ごんげんさま》戦場お持出《もちだ》しの矢疵《やきず》弾丸痕《たまあと》の残つた鎧櫃《よろいびつ》に納めて、槍《やり》を立てて使者を送らう。と言ふ評定《ひょうじょう》ぢや。」
「気障《きざ》な奴だ。」
「むゝ、先《ま》づ聞けよ。――評定は評定なれど、此を発議《ほつぎ》したは今時の博士《はかせ》、秦四書頭《はたししょのかみ》と言ふ親仁《おやじ》ぢや。」
「あの、親仁《おやじ》。……予《かね》て大島守《おおしまのかみ》に取入《とりい》ると聞いた。成程《なるほど》、其辺《そのへん》の催《もよお》しだな。積《つも》つても知れる。老耄《おいぼれ》儒者めが、家《うち》に引込《ひっこ》んで、溝端《どぶばた》へ、桐《きり》の苗《なえ》でも植ゑ、孫娘の嫁入道具の算段なりとして居《お》れば済むものを――いや、何時《いつ》の世にも当代におもねるものは、当代の学者だな。」
「塩辛い……」
と山伏《やまぶし》は、又したゝか水を飲んで、
「其処《そこ》でぢや……松平大島守、邸《やしき》は山ぢやが、別荘が本所大川《ほんじょおおかわ》べりにあるに依《よ》り、かた/″\大島守か都鳥を射《い》て取る事に成つた。……此の殿、聊《いささ》かものの道理を弁《わきま》へてゐながら、心得違ひな事は、諸事万端、おありがたや関東の御威光がりでな。――一年《ひととせ》、比野大納言、まだお年若《としわか》で、京都|御名代《ごみょうだい》として、日光の社参《しゃさん》に下《くだ》られたを饗応《きょうおう》して、帰洛《きらく》を品川へ送るのに、資治《やすはる》卿の装束《しょうぞく》が、藤色《ふじいろ》なる水干《すいかん》の裾《すそ》を曳《ひ》き、群鵆《むらちどり》を白く染出《そめい》だせる浮紋《うきもん》で、風折烏帽子《かざおりえぼし》に紫《むらさき》の懸緒《かけお》を着けたに負けない気で、此《この》大島守は、紺染《こんぞめ》の鎧直垂《よろいひたたれ》の下に、白き菊綴《きくとじ》なして、上には紫の陣羽織。胸をこはぜ掛《がけ》にて、後《うしろ》へ折開《おりひら》いた衣紋着《えもんつき》ぢや。小袖《こそで》と言ふのは、此れこそ見よがしで、嘗《かつ》て将軍家より拝領の、黄なる地《じ》の綾《あや》に、雲形《くもがた》を萌葱《もえぎ》で織出《おりだ》し、白糸《しろいと》を以て葵《あおい》の紋着《もんつき》。」
「うふ。」
と小法師《こほうし》が噴笑《ふきだ》した。
「何と御坊《ごぼう》。――資治卿が胴袖《どてら》に三尺《さんじゃく》もしめぬものを、大島守|其《そ》の装《なり》で、馬に騎《の》つて、資治卿の駕籠《かご》と、演戯《わざおぎ》がかりで向合《むかいあ》つて、どんなものだ、とニタリとした事がある。」
「気障《きざ》な奴だ。」
「大島守は、おのれ若年寄の顕達《けんたつ》と、将軍家の威光、此見《これみ》よがしの上に、――予《かね》て、資治卿が美男におはす、従つて、此の卿一生のうちに、一千人の女を楽《たのし》む念願あり、また婦人の方より恁《かく》と知りつつ争つて媚《こび》を捧げ、色を呈《てい》する。専《もっぱ》ら当代の在五中将《ざいごちゅうじょう》と言ふ風説《うわさ》がある――いや大島守、また相当の色男がりぢやによつて、一つは其|嫉《ねた》みぢや……負けまい気ぢや。
されば、名にしおはゞの歌につけて、都鳥の所望《しょもう》にも、一つは曲《ね》つたものと思つて可《よ》い。
また此の、品川で、陣羽織|菊綴《きくとじ》で、風折烏帽子《かざおりえぼし》紫《むらさき》の懸緒《かけお》に張合《はりあ》つた次第を聞いて、――例の天下の博士《はかせ》めが、(遊ばされたり、老生《ろうせい》も一度|其《そ》の御扮装を拝見。)などと申す。
処《ところ》で、今度、隅田川|両岸《りょうがん》の人払《ひとばらい》、いや人よせをして、件《くだん》の陣羽織、菊綴、葵紋服《あおいもんぷく》の扮装《いでたち》で、拝見ものの博士を伴ひ、弓矢を日置流《へぎりゅう》に手《た》ばさんで静々《しずしず》と練出《ねりだ》した。飛びも、立ちもすれば射取《いと》られう。こゝに可笑《おかし》な事は、折から上汐《あげしお》満々たる……」蘆の湖は波一|条《じょう》、銀河を流す気勢《けはい》がした。
「かの隅田川に、唯《ただ》一羽なる都鳥があつて、雪なす翼は、朱鷺色《ときいろ》の影を水脚《みずあし》に引いて、すら/\と大島守の輝いて立つ袖《そで》の影に入《い》るばかり、水岸《みずぎし》へ寄つて来た。」
「はて、それはな?」
「誰も知るまい。――大島守の邸《やしき》に、今年二十になる(白妙《しろたえ》。)と言つて、白拍子《しらびょうし》の舞《まい》の手《て》だれの腰元が一人あるわ――一年《ひととせ》……資治卿を饗応の時、酒宴《うたげ》の興に、此の女が一《ひと》さし舞つた。――ぢやが、新曲とあつて、其の今様《いまよう》は、大島守の作る処《ところ》ぢや。」
「迷惑々々。」
「中に(時鳥《ほととぎす》)何とかと言ふ一句がある。――白妙が(時鳥)とうたひながら、扇をかざして膝《ひざ》をついた。時しも屋《や》の棟《むね》に、時鳥が一《いっ》せいしたのぢや。大島守の得意、察するに余《あまり》ある。……ところが、時鳥は勝手に飛んだので、……こゝを聞け、御坊《ごぼう》よ。
白妙は、資治卿の姿に、恍惚《うっとり》と成つたのぢや。
大島守は、折に触れ、資治卿の噂《うわさ》をして、……その千人の女に契《ちぎ》ると言ふ好色をしたゝかに詈《ののし》ると、……二人三人の妾《めかけ》妾《てかけ》、……故《わざ》とか知らぬ、横肥《よこぶと》りに肥つた乳母《うば》まで、此れを聞いて爪《つま》はじき、身ぶるひをする中《うち》に、白妙|唯《ただ》一人、(でも。)とか申して、内々《ないない》思ひをほのめかす、大島守は勝手が違ふ上に、おのれ容色《きりょう》自慢だけに、いまだ無理口説《むりくどき》をせずに居《お》る。
其の白妙が、めされて都に上《のぼ》ると言ふ、都鳥の白粉《おしろい》の胸に、ふつくりと心魂《こころだましい》を籠《こ》めて、肩も身も翼に入れて憧憬《あこが》れる……其の都鳥ぢや。何と、遁《に》げる処《どころ》ではあるまい。――しかし、人間には此は解らぬ。」
「むゝ、聞えた。」
「都鳥は手とらまへぢや。蔵人《くら
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