んど》の鷺《さぎ》ならねども、手どらまへた都鳥を見て、将軍の御威光、殿の恩徳《おんとく》とまでは仔細ない、――別荘で取つて帰つて、羽《は》ぶしを結《ゆわ》へて、桜の枝につるし上げた。何と、雪白《せっぱく》裸身の美女を、梢《こずえ》に的《まと》にした面影《おもかげ》であらうな。松平大島守|源《みなもと》の何某《なにがし》、矢の根にしるして、例の菊綴《きくとじ》、葵《あおい》の紋服《もんぷく》、きり/\と絞つて、兵《ひょう》と射《い》たが、射た、が。射たが、薩張《さっぱり》当らぬ。
尤《もっと》も、此の無慙《むざん》な所業を、白妙は泣いて留《と》めたが、聴《き》かれさうな筈《はず》はない。
拝見の博士《はかせ》の手前――二《に》の矢《や》まで射損《いそん》じて、殿、怫然《ふつぜん》とした処《ところ》を、(やあ、飛鳥《ひちょう》、走獣《そうじゅう》こそ遊ばされい。恁《かか》る死的《しにまと》、殿には弓矢の御恥辱《おんちじょく》。)と呼ばはつて、ばら/\と、散る返咲《かえりざき》の桜とともに、都鳥の胸をも射抜《いぬ》いたるは……
……塩辛い。」
と山伏《やまぶし》は又湖水を飲む音。舌打《したうち》しながら、
「ソレ、其処《そこ》に控へた小堀伝十郎、即ち彼ぢや。……拙道《せつどう》が引掴《ひっつか》んだと申して、決して不忠不義の武士《さむらい》ではない。まづ言はば大島守には忠臣ぢや。
さて、処《ところ》で、矢を貫《つらぬ》いた都鳥を持つて、大島守|登営《とえい》に及び、将軍家一覧の上にて、如法《にょほう》、鎧櫃《よろいびつ》に納めた。
故《わざ》と、使者|差立《さした》てるまでもない。ぢやが、大納言の卿に、将軍家よりの御進物《ごしんもつ》。よつて、九州へ帰国の諸侯が、途次《みちすがら》の使者兼帯、其の武士《さむらい》が、都鳥の宰領《さいりょう》として、罷出《まかりい》でて、東海道を上《のぼ》つて行く。……
秋葉の旦那《だんな》、つむじが曲つた。颶風《はやて》の如く、御坊《ごぼう》の羽黒と気脈を通じて、またゝく間《ま》の今度の催《もよおし》。拙道《せつどう》は即ち仰《おおせ》をうけて、都鳥の使者が浜松の本陣へ着いた処《ところ》を、風呂にも入れず、縁側から引攫《ひっさら》つた。――武士《さむらい》の這奴《しゃつ》の帯の結目《ゆいめ》を掴《つか》んで引釣《ひきつ》ると、斉《ひと》しく、金剛杖《こんごうづえ》に持添《もちそ》へた鎧櫃《よろいびつ》は、とてもの事に、狸《たぬき》が出て、棺桶《かんおけ》を下げると言ふ、古槐《ふるえんじゅ》の天辺へ掛け置いて、大井《おおい》、天竜、琵琶湖《びわこ》も、瀬多《せた》も、京の空へ一飛《ひととび》ぢや。」
と又がぶりと水を飲んだ。
「時に、……時にお行者《ぎょうじゃ》。矢を貫《つらぬ》いた都鳥は何とした。」
「それぢや。……桜の枝に掛《かか》つて、射貫《いぬか》れたとともに、白妙《しろたえ》は胸を痛めて、どつと……息も絶々《たえだえ》の床《とこ》に着いた。」
「南無三宝《なむさんぼう》。」
「あはれと思《おぼ》し、峰、山、嶽《たけ》の、姫たち、貴夫人たち、届かぬまでもとて、目下《もっか》御介抱《ごかいほう》遊ばさるる。」
「珍重《ちんちょう》。」
と小法師《こほうし》が言つた。
「いや、安心は相成《あいな》らぬ。が、かた/″\の御心《ごしん》もじ、御如才《おじょさい》はないかに存ずる。やがて、此の湖上にも白い姿が映るであらう。――水も、夜《よ》も、さて更《ふ》けた。――武士《さむらい》。」
と呼んで、居直《いなお》つて、
「都鳥もし蘇生《よみがえ》らず、白妙なきものと成らば、大島守を其のまゝに差置《さしお》かぬぞ、と確《しか》と申せ。いや/\待て、必ず誓つて人には洩《もら》すな。――拙道の手に働かせたれば、最早《もは》や汝《そち》は差許《さしゆる》す。小堀伝十郎、確《しか》とせい、伝十郎。」
「はつ。」
と武士《さむらい》は、魂とともに手を支《つ》いた。こゝに魂と云ふは、両刀の事ではない。
八
「何と御坊」
と、少時《しばらく》して山伏《やまぶし》が云つた。
「思ひ懸《が》けず、恁《かか》る処《ところ》で行逢《ゆきお》うた、互《たがい》の便宜《べんぎ》ぢや。双方、彼等《かれら》を取替《とりか》へて、御坊《ごぼう》は羽黒へ帰りついでに、其の武士《さむらい》を釣《つ》つて行く、拙道《せつどう》は一翼《ひとつばさ》、京へ伸《の》して、其の屑屋《くずや》を連れ参つて、大仏前の餅《もち》を食《く》はさうよ――御坊の厚意は無にせまい。」
「よい、よい、名案。」
「参れ。……屑屋。」
と山の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》を霧の包むやうに枯蘆《かれあし》にぬつと立つ、此の大《だい》なる魔神《ましん》の裾《すそ》に、小さくなつて、屑屋は頭から領伏《ひれふ》して手を合せて拝んだ。
「お慈悲《じひ》、お慈悲でござります、お助け下さいまし。」
「これ、身は損《そこ》なはぬ。ほね休めに、京見物をさして遣《や》るのぢや。」
「女房、女房がござります。児《こ》がござります。――何として、箱根から京まで宙が飛べませう。江戸へ帰りたう存じます。……お武家様、助けて下せえ……」
と膝行《いざ》り寄る。半《なか》ば夢心地の屑屋は、前後の事を知らぬのであるから、武士《さむらい》を視《み》て、其の剣術に縋《すが》つても助かりたいと思つたのである。
小法師《こほうし》が笑ひながら、塵《ちり》を払つて立つた。
「可厭《いや》なものは連れては参らぬ。いや、お行者《ぎょうじゃ》御覧の通りだ。御苦労には及ぶまい。――屑屋、法衣《ころも》の袖《そで》を取れ、確《しか》と取れ、江戸へ帰すぞ。」
「えゝ、滅相《めっそう》な、お慈悲、慈悲でござります。山を越えて参ります。歩行《ある》いて帰ります。」
「歩行《ある》けるかな。」
「這《は》ひます、這ひます、這ひまして帰ります。地《つち》を這ひまして帰ります。其の方が、どれほどお情《なさけ》か分りませぬ。」
「はゝ、気まゝにするが可《よ》い、――然《さ》らば入交《いれかわ》つて、……武士《さむらい》、武士《さむらい》、愚僧に縋《すが》れ。」
「恐れながら、恐れながら拙者《せっしゃ》とても、片時《へんし》も早く、もとの人間に成りまして、人間らしく、相成《あいな》りたう存じます。峠《とうげ》を越えて戻ります。」
「心のまゝぢや。――御坊。」
と山伏《やまぶし》が式代《しきたい》した。
「お行者。」
「少時《しばらく》、少時《しばらく》何《ど》うぞ。」
と蹲《うずくま》りながら、手を挙げて、
「唯今《ただいま》、思ひつきました。此には海内《かいだい》第一のお関所がござります。拙者|券《てがた》を持ちませぬ。夜あけを待ちましても同じ儀ゆゑに……ハタと当惑を仕《つかまつ》ります。」
武士《さむらい》はきつぱり正気に返つた。
「仔細ない。久能山辺《くのうざんあたり》に於ては、森の中から、時々、(興津鯛《おきつだい》が食べたい、燈籠《とうろう》の油がこぼれるぞよ。)なぞと声の聞える事を、此辺《こんあたり》でもまざ/\と信じて居《お》る。――関所に立向《たちむか》つて、大音《だいおん》に(権現《ごんげん》が通る。)と呼ばはれ、速《すみやか》に門を開《ひら》く。」
「恐れ……恐多《おそれおお》い事――承《うけたまわ》りまするも恐多い。陪臣《ばいしん》の分《ぶん》を仕《つかまつ》つて、御先祖様お名をかたります如き、血反吐《ちへど》を吐《は》いて即死をします。」
と、わな/\と震へて云つた。
「臆病もの。……可《よ》し。」
「計《はか》らひ取らせう。」
同音《どうおん》に、
「関所!」
と呼ぶと、向うから歩行《ある》くやうに、する/\と真夜中の箱根の関所が、霧を被《かず》いて出て来た。
山伏《やまぶし》の首が、高く、鎖《とざ》した門を、上から俯向《うつむ》いて見込む時、小法師《こほうし》の姿は、ひよいと飛んで、棟木《むなぎ》に蹲《しゃが》んだ。
「権現《ごんげん》ぢや。」
「罷通《まかりとお》るぞ!」
哄《どっ》と笑つた。
小法師の姿は東《あずま》の空へ、星の中に法衣《ころも》の袖《そで》を掻込《かいこ》んで、うつむいて、すつと立つ、早走《はやばしり》と云つたのが、身動きもしないやうに、次第々々に高く上《あが》る。山伏の形は、腹這《はらば》ふ状《さま》に、金剛杖《こんごうづえ》を櫂《かい》にして、横に霧を漕《こ》ぐ如く、西へふは/\、くるりと廻つて、ふは/\と漂ひ去る。……
唯《と》、仰いで見るうちに、数十人の番士《ばんし》、足軽《あしがる》の左右に平伏《ひれふ》す関の中を、二人何の苦もなく、うかうかと通り抜けた。
「お武家様、もし、お武家様。」
ハツとしたやうに、此の時、刀の柄《つか》に手を掛けて、もの/\しく見返つた。が、汚《きたな》い屑屋に可厭《いや》な顔して、
「何だ。」
「お袂《たもと》に縋《すが》りませいでは、一足《ひとあし》も歩行《ある》かれませぬ。」
「ちよつ。参れ。」
「お武家様、お武家様。」
「黙つて参れよ。」
小湧谷《こわくだに》、大地獄《おおじごく》の音を暗中《あんちゅう》に聞いた。
目の前の路《みち》に、霧が横に広いのではない。するりと無紋《むもん》の幕が垂れて、ゆるく絞つた総《ふさ》の紫《むらさき》は、地《ち》を透《す》く内側の燈《ともしび》の影に、色も見えつつ、ほのかに人声《ひとごえ》が漏《も》れて聞えた。
女の声である。
時に、紙屑屋の方が、武士《さむらい》よりは、もの馴《な》れた。
そして、跪《ひざまず》かせて、屑屋も地《つち》に、並んで恭《うやうや》しく手を支《つ》いた。
「江戸へ帰りますものにござります。山道に迷ひました。お通しを願ひたう存じます。」
ひつそりして、少時《しばらく》すると、
「お通り。」
と、もの柔《やわらか》な、優しい声。
颯《さっ》と幕が消えた。消《き》ゆるにつれて、朦朧《もうろう》として、白小袖《しろこそで》、紅《くれない》の袴《はかま》、また綾錦《あやにしき》、振袖《ふりそで》の、貴女たち四五人の姿とともに、中に一人、雪に紛《まが》ふ、うつくしき裸体の女があつたと思ふと、都鳥が一羽、瑪瑙《めのう》の如き大巌《おおいわ》に湛《たた》へた温泉《いでゆ》に白く浮いて居た。が、それも湯気とともに蒼《あお》く消えた。
星ばかり、峰ばかり、颯々《さっさつ》たる松の嵐の声ばかり。
幽《かすか》に、互《たがい》の顔の見えた時、真空《まそら》なる、山かづら、山の端《は》に、朗《ほがらか》な女の声して、
「矢は返すよ。」
風を切つて、目さきへ落ちる、此が刺さると生命《いのち》はなかつた。それでも武士《さむらい》は腰を抜いた。
引立《ひきた》てても、目ばかり働いて歩行《ある》き得ない。
屑屋が妙なことをはじめた。
「お武家様、此の笊《ざる》へお入んなせい。」
入《い》れると、まだ天狗《てんぐ》のいきの、ほとぼりが消えなかつたと見えて、鉄砲笊《てっぽうざる》へ、腰からすつぽりと納《おさま》つたのである。
屑屋が腰を切つて、肩を振つて、其の笊を背負《しょ》つて立つた。
「屑《くず》い。」
うつかりと、……
「屑い。」
落ちた矢を見ると、ひよいと、竹の箸《はし》ではさんで拾つて、癖に成つて居るから、笊へ抛《ほう》る。
鴻《こう》の羽《はね》の矢を額《ひたい》に取つて、蒼《あお》い顔して、頂きながら、武士《さむらい》は震へて居た。
底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
1940(昭和15)年発行
初出:「新小説」
1922(大正11)年1月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音
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