深更時ならぬに琴、琵琶《びわ》など響《ひびき》微《かすか》に、金沢の寝耳に達する事あり。
 一歳《ひととせ》初夏の頃より、このあたりを徘徊《はいかい》せる、世にも忌《いま》わしき乞食僧《こじきそう》あり、その何処《いずこ》より来りしやを知らず、忽然《こつぜん》黒壁に住める人の眼界に顕《あらわ》れしが、殆ど湿地に蛆《うじ》を生ずる如《ごと》く、自然に湧《わ》き出でたるやの観ありき。乞食僧はその年紀《とし》三十四五なるべし。寸々《ずたずた》に裂けたる鼠の法衣《ころも》を結び合せ、繋《つな》ぎ懸けて、辛うじてこれを絡《まと》えり。
 容貌《ようぼう》甚だ憔悴《しょうすい》し、全身黒み痩《や》せて、爪《つめ》長く髯《ひげ》短し、ただこれのみならむには、一般|乞食《こつじき》と変わらざれども、一度その鼻を見る時は、誰人《たれひと》といえども、造化の奇を弄《ろう》するも、また甚だしきに、驚かざるを得ざるなり。鼻は大にして高く、しかも幅広に膨れたり。その尖《さき》は少しく曲《ゆが》み、赤く色着きて艶《つや》あり。鼻の筋通りたれば、額より口の辺《あたり》まで、顔は一面の鼻にして、痩せたる頬《ほお》は無
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