「コヤ老媼、汝《なんじ》の主婦を媒妁《なかだち》して我《わが》執念を晴らさせよ。もし犠牲《いけにえ》を捧げざれば、お通はもとより汝もあまり好《よ》きことはなかるべきなり、忘れてもとりもつべし。それまで命を預け置かむ、命冥加《いのちみょうが》な老耆《おいぼれ》めが。」と荒《あら》らかに言棄《いいす》てて、疾風土を捲《ま》いて起ると覚しく、恐る恐る首《こうべ》を擡《もた》げあぐれば、蝦蟇法師は身を以て隕《おと》すが如く下《くだ》り行《ゆ》き、靄《もや》に隠れて失《う》せたりけり。
やれやれ生命《いのち》を拾いたりと、真蒼《まっさお》になりて遁帰《にげかえ》れば、冷たくなれる納台《すずみだい》にまだ二三人居残りたるが、老媼の姿を見るよりも、「探検し来りしよな、蝦蟇法師の住居《すまい》は何処《いずこ》。」と右左より争い問われて、答うる声も震えながら、「何がなし一件じゃ、これなりこれなり。」と、握拳《にぎりこぶし》を鼻の上にぞ重《かさね》たる、乞食僧の人物や、これを痴《ち》と言《いわ》むよりはたまた狂と言むより、もっとも魔たるに適するなり。もししからずば少なくとも魔法使に適するなり。
かかりし後法師の鼻は甚だ威勢あるものとなりて、暗裡《あんり》人をして恐れしめ、自然黒壁を支配せり。こは一般に老若《ろうにゃく》が太《いた》く魔僧を忌憚《いみはばか》かり、敬して遠ざからむと勤めしよりなり、誰《たれ》か妖星《ようせい》の天に帰して、眼界を去らむことを望まざるべき。
ここに最もそのしからむことを望む者は、蝦蟇と、清川お通となり。いかんとなればあまたの人の嫌悪に堪えざる乞食僧の、黒壁に出没するは、蝦蟇とお通のあるためなりと納涼台《すずみだい》にて語り合えるを美人はふと聞噛《ききかじ》りしことあればなり、思うてここに到る毎《ごと》に、お通は執心の恐しさに、「母上、母上」と亡母を念じて、己《おの》が身辺に絡纏《まつわ》りつつある淫魔《いんま》を却《しりぞ》けられむことを哀願しき。お通の心は世に亡き母の今もその身とともに在《おわ》して、幼少のみぎりにおけるが如くその心願を母に請えば、必ず肯《き》かるべしと信ずるなり。
さりながらいかにせむ、お通は遂《つい》に乞食僧の犠牲にならざるべからざる由老媼の口より宣告されぬ。
前日、黒壁に賁臨《ふんりん》せる蝦蟇法師への貢《みつぎ》として、この美人を捧げざれば、到底|好《よ》き事はあらざるべしと、恫※[#「りっしんべん+曷」、第4水準2−12−59]的《どうかつてき》に乞食僧より、最も渠《かれ》を信仰してその魔法使たるを疑わざる件《くだん》の老媼に媒妁《なかだち》すべく言込みしを、老媼もお通に言出しかねて一日《いちじつ》免《のが》れに猶予《ためらい》しが、厳しく乞食僧に催促されて、謂《い》わで果つべきことならねば、止むことを得で取次たるなり。しかるにお通は予《あらかじ》めその趣を心得たれば、老媼が推測りしほどには驚かざりき。
美人は冷然として老媼を諭しぬ、「母上の世に在《いま》さば何とこれを裁きたまわむ、まずそれを思い見よ、必ずかかる乞食の妻となれとはいいたまわじ。」と謂われて返さむ言《ことば》も無けれど、老媼は甚だしき迷信|者《じゃ》なれば乞食僧の恐喝《きょうかつ》を真《まこと》とするにぞ、生命《いのち》に関わる大事と思いて、「彼奴《かやつ》は神通広大《じんずうこうだい》なる魔法使にて候えば、何を仕出《しい》ださむも料《はか》り難《がた》し。さりとて鼻に従いたまえと私《わたくし》申上げはなさねども、よき御分別もおわさぬか。」と熱心に云えば冷《ひやや》かに、「いや、分別も何もなし、たといいかなることありとも、母上の御心《みこころ》に合わぬ事は誓ってせまじ。」
と手強き謝絶に取附く島なく、老媼は太《いた》く困《こう》じ果てしが、何思いけむ小膝《こひざ》を拍《う》ち、「すべて一心|固《かたま》りたるほど、強く恐しき者はなきが、鼻が難題を免れむには、こっちよりもそれ相当の難題を吹込みて、これだけのことをしさえすれば、それだけの望《のぞみ》に応ずべしとこういう風に談ずるが第一手段《いちのて》に候なり、昔語《むかしがたり》にさること侍《はべ》りき、ここに一条《ひとすじ》の蛇《くちなわ》ありて、とある武士《もののふ》の妻に懸想《けそう》なし、頑《かたくな》にしょうじ着きて離るべくもなかりしを、その夫|何某《なにがし》智慧《ちえ》ある人にて、欺きて蛇に約し、汝《なんじ》巨鷲《おおわし》の頭|三個《みつ》を得て、それを我に渡しなば、妻をやらむとこたえしに、蛇はこれを諾《うべな》いて鷲と戦い亡失《ほろびう》せしということの候なり。されど今|憖《なまじい》に鷲の首などと謂《い》う時は、かの恐しき魔法使の整え来ぬとも料《
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