、すうと出た。
 本堂へ詣《まい》ったのが、一廻りして、一帆の前に顕《あら》われたのである。
 すぼめた蛇目傘《じゃのめ》に手を隠して、
「お待ちなすって?」
 また、ほんのりと花の薫《かおり》。
「何、ちっとも。……ゆっくりお参詣《まいり》をなされば可《い》い。」
「貴下《あなた》こそ、前《さき》へいらしってお待ち下されば可《よ》うござんすのに、出張《でっぱ》りにいらしって、沫《しぶき》が冷《つめた》いではありませんか。」
 さっさと先へ行《ゆ》けではない。待ってくれれば、と云う、その待つのはどこか、約束も何もしないが、もうこうなっては、度胸が据《すわ》って、
「だって雨を潜《くぐ》って、一人でびしょびしょ歩行《ある》けますか。」
「でも、その方がお好《すき》な癖に……」
 と云って、肩でわざとらしくない嬌態《しな》をしながら、片手でちょいと帯を圧《おさ》えた。ぱちん留《どめ》が少し摺《ず》って、……薄いが膨《ふっく》りとある胸を、緋鹿子《ひがのこ》の下〆《したじめ》が、八ツ口から溢《こぼ》れたように打合わせの繻子《しゅす》を覗《のぞ》く。
 その間に、きりりと挟んだ、煙管筒《きせるづつ》? ではない。象牙骨《ぞうげぼね》の女扇を挿している。
 今圧えた手は、帯が弛《ゆる》んだのではなく、その扇子《おうぎ》を、一息探く挿込んだらしかった。

       五

 紫の矢絣《やがすり》に箱迫《はこせこ》の銀のぴらぴらというなら知らず、闇桜《やみざくら》とか聞く、暗いなかにフト忘れたように薄紅《うすくれない》のちらちらする凄《すご》い好みに、その高島田も似なければ、薄い駒下駄に紺蛇目傘《こんじゃのめ》も肖《そぐ》わない。が、それは天気模様で、まあ分る。けれども、今時分、扇子《おうぎ》は余りお儀式過ぎる。……踊の稽古《けいこ》の帰途《かえり》なら、相応したのがあろうものを、初手《しょて》から素性のおかしいのが、これで愈々《いよいよ》不思議になった。
 が、それもその筈《はず》、あとで身上《みじょう》を聞くと、芸人だと言う。芸人も芸人、娘手品《むすめてじな》、と云うのであった。
 思い懸けず、余《あんま》り変ってはいたけれども、当人の女の名告《なの》るものを、怪しいの、疑わしいの、嘘言《うそ》だ、と云った処で仕方がない。まさか、とは考えるが、さて人の稼業である。此方《こな
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