にん》なりき。
 前段|既《すで》に説けるが如く、予が此塾に入りたりしは、学問すべきためにはあらで、いかなる不思議のあらむかを窺見《うかゞひみ》むと思ひしなり。我には許せ。性《せい》として奇怪なる事とし謂へば、見たさ、聞きたさに堪《た》へざれども、固《もと》より頼む腕力ありて、妖怪《えうくわい》を退治せむとにはあらず、胸に蓄《たくは》ふる学識ありて、怪異を研究せむとにもあらず。俗に恐いもの見たさといふ好事心《ものずき》のみなり。
 さて松川に入塾して、直《たゞ》ちに不開室《あかずのま》を探検せんとせしが、不開室は密閉したるが上に板戸を釘付《くぎづけ》にしたれば開くこと無し。僅《わづか》に板戸の隙間より内の模様を窺ふに、畳二三十も敷かるべく、柱は参差《しんし》と立《たち》ならべり。日中なれども暗澹《あんたん》として日の光|幽《かすか》に、陰々たる中《うち》に異形《いぎやう》なる雨漏《あまもり》の壁に染みたるが仄見《ほのみ》えて、鬼気人に逼《せま》るの感あり。即《すなは》ち隙見《すきみ》したる眼の無事なるを取柄にして、何等《なんら》の発見せし事なく、踵《きびす》を返して血天井を見る。こゝも用無き部屋なれば、掃除せしこともあらずと見えて、塵埃《ちりほこり》床を埋め、鼠《ねずみ》の糞《ふん》梁《うつばり》に堆《うづたか》く、障子|襖《ふすま》も煤果《すゝけは》てたり。そこぞと思ふ天井も、一面に黒み渡りて、年経《としふ》る血の痕の何処《いづこ》か弁じがたし、更科《さらしな》の月四角でもなかりけり、名所多くは失望の種となる。されどなほ余すところの竹藪あり、蓋《けだ》し土地の人は八幡《やはた》に比し、恐れて奥を探る者無く、見るから物凄《ものすご》き白日闇《はくじつあん》の別天地、お村の死骸も其処《そこ》に埋《うづ》めつと聞くほどに、うかとは足を入難《いれがた》し、予は先《ま》づ支度《したく》に取懸《とりかゝ》れり。
 誰《たれ》にか棄てられけむ、一頭《いつとう》流浪《るらう》の犬の、予が入塾の初より、数々《しば/\》庭前《ていぜん》に入来《いりきた》り、そこはかと餌《ゑ》を※[#「求/食」、第4水準2−92−54]《あさ》るあり。予は少しく思ふよしあれば、其|頭《かうべ》を撫《な》で、背《せな》を摩《さす》りなどして馴近《なれちかづ》け、賄《まかなひ》の幾分を割《さ》きて与ふるこ
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