方《かた》にはあらじと思ふ坂道の異《こと》なる方《かた》にわれはいつかおりかけゐたり。丘ひとつ越えたりけむ、戻る路《みち》はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡せば、見まはせば、赤土の道幅せまく、うねりうねり果《はて》しなきに、両側つづきの躑躅《つつじ》の花、遠き方《かた》は前後を塞《ふさ》ぎて、日かげあかく咲込《さきこ》めたる空のいろの真蒼《まさお》き下に、彳《たたず》むはわれのみなり。
鎮守《ちんじゆ》の社《やしろ》
坂は急ならず長くもあらねど、一つ尽《つく》ればまたあらたに顕《あらわ》る。起伏あたかも大波の如く打続《うちつづ》きて、いつ坦《たん》ならむとも見えざりき。
あまり倦《う》みたれば、一ツおりてのぼる坂の窪《くぼみ》に踞《つくば》ひし、手のあきたるまま何《なに》ならむ指もて土にかきはじめぬ。さといふ字も出来たり。くといふ字も書きたり。曲りたるもの、直《すぐ》なるもの、心の趣くままに落書《らくがき》したり。しかなせるあひだにも、頬のあたり先刻《さき》に毒虫の触れたらむと覚ゆるが、しきりにかゆければ、袖《そで》もてひまなく擦《こす》りぬ。擦りてはまたもの書きなどせる、なかにむつかしき字のひとつ形よく出来たるを、姉に見せばやと思ふに、俄《にわか》にその顔の見たうぞなりたる。
立《たち》あがりてゆくてを見れば、左右より小枝を組みてあはひも透《す》かで躑躅《つつじ》咲きたり。日影ひとしほ赤《あこ》うなりまさりたるに、手を見たれば掌《たなそこ》に照りそひぬ。
一文字にかけのぼりて、唯《と》見ればおなじ躑躅のだらだらおりなり。走りおりて走りのぼりつ。いつまでかかくてあらむ、こたびこそと思ふに違《たが》ひて、道はまた蜿《うね》れる坂なり。踏心地《ふみごこち》柔《やわら》かく小石ひとつあらずなりぬ。
いまだ家には遠しとみゆるに、忍びがたくも姉の顔なつかしく、しばらくも得《え》堪《た》へずなりたり。
再びかけのぼり、またかけりおりたる時、われしらず泣きてゐつ。泣きながらひたばしりに走りたれど、なほ家ある処《ところ》に至らず、坂も躑躅も少しもさきに異らずして、日の傾くぞ心細き。肩、背のあたり寒うなりぬ。ゆふ日あざやかにぱつと茜《あかね》さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅《くれない》の雪の降積《ふりつ》めるかと疑はる。
われは涙の声たかく、あるほど
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