に恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株《ひとかぶ》の躑躅のなかより、羽音《はおと》たかく、虫のつと立ちて頬を掠《かす》めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺|隔《へだ》てたる処《ところ》に礫《つぶて》のありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるふさまも見えたり。手をあげて走りかかれば、ぱつとまた立ちあがりて、おなじ距離五、六尺ばかりのところにとまりたり。そのまま小石を拾ひあげて狙《ねら》ひうちし、石はそれぬ。虫はくるりと一ツまはりて、また旧《もと》のやうにぞをる。追ひかくれば迅《はや》くもまた遁《に》げぬ。遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあはひを置きてはキラキラとささやかなる羽《は》ばたきして、鷹揚《おうよう》にその二《ふた》すぢの細き髯《ひげ》を上下《うえした》にわづくりておし動かすぞいと憎《にく》さげなりける。
 われは足踏《あしぶみ》して心《こころ》いらてり。そのゐたるあとを踏みにじりて、
「畜生、畜生。」
 と呟《つぶや》きざま、躍《おど》りかかりてハタと打ちし、拳《こぶし》はいたづらに土によごれぬ。
 渠《かれ》は一足《ひとあし》先なる方《かた》に悠々《ゆうゆう》と羽《は》づくろひす。憎しと思ふ心を籠《こ》めて瞻《みまも》りたれば、虫は動かずなりたり。つくづく見れば羽蟻《はあり》の形して、それよりもやや大《おおい》なる、身はただ五彩《ごさい》の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいはむ方《かた》なし。
 色彩あり光沢《こうたく》ある虫は毒なりと、姉上の教へたるをふと思ひ出《い》でたれば、打置《うちお》きてすごすごと引返《ひつかえ》せしが、足許《あしもと》にさきの石の二《ふた》ツに砕《くだ》けて落ちたるより俄《にわか》に心動き、拾ひあげて取つて返し、きと毒虫をねらひたり。
 このたびはあやまたず、したたかうつて殺しぬ。嬉《うれ》しく走りつきて石をあはせ、ひたと打《うち》ひしぎて蹴飛《けと》ばしたる、石は躑躅《つつじ》のなかをくぐりて小砂利《こじやり》をさそひ、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。
 袂《たもと》のちり打《うち》はらひて空を仰《あお》げば、日脚《ひあし》やや斜《ななめ》になりぬ。ほかほかとかほあつき日向《ひなた》に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず痒《がゆ》きこと限りなかりき。
 心着《こころづ》けば旧来《もとき》し
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