声を絞《しぼ》りて姉をもとめぬ。一《ひと》たび二《ふた》たび三《み》たびして、こたへやすると耳を澄《すま》せば、遥《はるか》に滝の音聞えたり。どうどうと響くなかに、いと高く冴《さ》えたる声の幽《かすか》に、
「もういいよ、もういいよ。」
 と呼びたる聞えき。こはいとけなき我がなかまの隠れ遊びといふものするあひ図なることを認め得たる、一声《ひとこえ》くりかへすと、ハヤきこえずなりしが、やうやう心たしかにその声したる方《かた》にたどりて、また坂ひとつおりて一つのぼり、こだかき所に立ちて瞰《み》おろせば、あまり雑作《ぞうさ》なしや、堂の瓦屋根《かわらやね》、杉の樹立《こだち》のなかより見えぬ。かくてわれ踏迷《ふみまよ》ひたる紅《くれない》の雪のなかをばのがれつ。背後《うしろ》には躑躅《つつじ》の花飛び飛びに咲きて、青き草まばらに、やがて堂のうらに達せし時は一株《ひとかぶ》も花のあかきはなくて、たそがれの色、境内《けいだい》の手洗水《みたらし》のあたりを籠《こ》めたり。柵《さく》結《ゆ》ひたる井戸ひとつ、銀杏《いちよう》の古《ふ》りたる樹あり、そがうしろに人の家の土塀《どべい》あり。こなたは裏木戸のあき地にて、むかひに小さき稲荷《いなり》の堂あり。石の鳥居《とりい》あり。木の鳥居あり。この木の鳥居の左の柱には割れめありて太き鉄の輪を嵌《は》めたるさへ、心たしかに覚えある、ここよりはハヤ家に近しと思ふに、さきの恐しさは全く忘れ果てつ。ただひとへにゆふ日照りそひたるつつじの花の、わが丈《たけ》よりも高き処《ところ》、前後左右を咲埋《さきうず》めたるあかき色のあかきがなかに、緑と、紅《くれない》と、紫と、青白《せいはく》の光を羽色《はいろ》に帯びたる毒虫のキラキラと飛びたるさまの広き景色のみぞ、画《え》の如く小さき胸にゑがかれける。

     かくれあそび

 さきにわれ泣きいだして救《すくい》を姉にもとめしを、渠《かれ》に認められしぞ幸《さいわい》なる。いふことを肯《き》かで一人いで来《き》しを、弱りて泣きたりと知られむには、さもこそとて笑はれなむ。優《やさ》しき人のなつかしけれど、顔をあはせていひまけむは口惜《くちお》しきに。
 嬉《うれ》しく喜ばしき思ひ胸にみちては、また急に家に帰らむとはおもはず。ひとり境内《けいだい》に彳《たたず》みしに、わツといふ声、笑ふ声、木の蔭、
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