わるいのだから、落着《おちつ》いて、ね、気をしづめるのだよ、可《い》いかい。」
われはさからはで、ただ眼《め》をもて答へぬ。
「どれ。」といひて立つたる折、のしのしと道芝《みちしば》を踏む音して、つづれをまとうたる老夫《おやじ》の、顔の色いと赤きが縁《えん》近《ちこ》う入《はい》り来つ。
「はい、これはお児《こ》さまがござらつせえたの、可愛《かわい》いお児じや、お前様も嬉《うれ》しかろ。ははは、どりや、またいつものを頂きましよか。」
腰をななめにうつむきて、ひつたりとかの筧《かけい》に顔をあて、口をおしつけてごつごつごつとたてつづけにのみたるが、ふツといきを吹きて空を仰《あお》ぎぬ。
「やれやれ甘いことかな。はい、参ります。」
と踵《くびす》を返すを、こなたより呼びたまひぬ。
「ぢいや、御苦労だが。また来ておくれ、この児《こ》を返さねばならぬから。」
「あいあい。」
と答へて去る。山風《やまかぜ》颯《さつ》とおろして、彼《か》の白き鳥また翔《た》ちおりつ。黒き盥《たらい》のふちに乗りて羽《は》づくろひして静まりぬ。
「もう、風邪を引かないやうに寝させてあげよう、どれそんなら私も。」とて静《しずか》に雨戸をひきたまひき。
九《ここの》ツ谺《こだま》
やがて添臥《そいぶし》したまひし、さきに水を浴びたまひし故《ゆえ》にや、わが膚《はだ》をりをり慄然《りつぜん》たりしが何の心もなうひしと取縋《とりすが》りまゐらせぬ。あとをあとをといふに、をさな物語|二《ふた》ツ三《み》ツ聞かせ給《たま》ひつ。やがて、
「一《ひと》ツ谺《こだま》、坊や、二《ふた》ツ谺《こだま》といへるかい。」
「二ツ谺。」
「三《み》ツ谺《こだま》、四《よ》ツ谺《こだま》といつて御覧。」
「四ツ谺。」
「五《いつ》ツ谺《こだま》。そのあとは。」
「六《む》ツ谺《こだま》。」
「さうさう七《なな》ツ谺《こだま》。」
「八《や》ツ谺《こだま》。」
「九《ここの》ツ谺《こだま》――ここはね、九《ここの》ツ谺《こだま》といふ処《ところ》なの。さあもうおとなにして寝るんです。」
背に手をかけ引寄《ひきよ》せて、玉《たま》の如きその乳房《ちぶさ》をふくませたまひぬ。露《あらわ》に白き襟《えり》、肩のあたり鬢《びん》のおくれ毛はらはらとぞみだれたる、かかるさまは、わが姉上とは太《いた》く違へり
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