《たま》ちるあたりに盥《たらい》を据ゑて、うつくしく髪《かみ》結《ゆ》うたる女《ひと》の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。
 筧《かけい》の水はそのたらひに落ちて、溢《あふ》れにあふれて、地の窪《くぼ》みに流るる音しつ。
 蝋《ろう》の灯《ひ》は吹くとなき山おろしにあかくなり、くらうなりて、ちらちらと眼に映ずる雪なす膚《はだえ》白かりき。
 わが寝返《ねがえ》る音に、ふとこなたを見返り、それと頷《うなず》く状《さま》にて、片手をふちにかけつつ片足を立てて盥《たらい》のそとにいだせる時、颯《さ》と音して、烏《からす》よりは小さき鳥の真白《ましろ》きがひらひらと舞ひおりて、うつくしき人の脛《はぎ》のあたりをかすめつ。そのままおそれげもなう翼を休めたるに、ざぶりと水をあびせざま莞爾《につこ》とあでやかに笑うてたちぬ。手早く衣《きぬ》もてその胸をば蔽《おお》へり。鳥はおどろきてはたはたと飛去《とびさ》りぬ。
 夜の色は極めてくらし、蝋《ろう》を取りたるうつくしき人の姿さやかに、庭下駄《にわげた》重く引く音しつ。ゆるやかに縁《えん》の端に腰をおろすとともに、手をつきそらして捩向《ねじむ》きざま、わがかほをば見つ。
「気分は癒《なお》つたかい、坊や。」
 といひて頭《こうべ》を傾けぬ。ちかまさりせる面《おもて》けだかく、眉あざやかに、瞳《ひとみ》すずしく、鼻やや高く、唇の紅《くれない》なる、額《ひたい》つき頬のあたり※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけたり。こは予《かね》てわがよしと思ひ詰《つめ》たる雛《ひな》のおもかげによく似たれば貴《とうと》き人ぞと見き。年は姉上よりたけたまへり。知人《しりびと》にはあらざれど、はじめて逢ひし方《かた》とは思はず、さりや、誰《たれ》にかあるらむとつくづくみまもりぬ。
 またほほゑみたまひて、
「お前あれは斑猫《はんみよう》といつて大変な毒虫なの。もう可《い》いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは姉様《ねえさん》が見違へるのも無理はないのだもの。」
 われもさあらむと思はざりしにもあらざりき。いまはたしかにそれよと疑はずなりて、のたまふままに頷《うなず》きつ。あたりのめづらしければ起きむとする夜着《よぎ》の肩、ながく柔《やわら》かにおさへたまへり。
「ぢつとしておいで、あんばいが
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