した。位置は変って、川の反対《むこう》の方に見えて来た、なるほど渡《わたし》を渡らねばなりますまい。
 足を圧《おさ》えた片手を後《うしろ》へ、腰の両提《ふたつさげ》の中をちゃらちゃらさせて、爺様《じさま》頼んます、鎮守《ちんじゅ》の祭礼《まつり》を見に、頼まれた和郎《わろ》じゃ、と言うと、船を寄せた老人《としより》の腰は、親仁《おやじ》の両提《ふたつさげ》よりもふらふらして干柿《ほしがき》のように干《ひ》からびた小さな爺《じじい》。
 やがて綱に掴《つか》まって、縋《すが》ると疾《はや》い事!
 雀《すずめ》が鳴子《なるこ》を渡るよう、猿が梢《こずえ》を伝うよう、さらさら、さっと。」
 高坂は思わず足踏《あしぶみ》をした、草の茂《しげり》がむらむらと揺《ゆら》いで、花片《はなびら》がまたもや散り来る――二片三片《ふたひらみひら》、虚空《おおぞら》から。――
「左右へ傾く舷《ふなばた》へ、流《ながれ》が蒼く搦《から》み着いて、真白に颯《さっ》と翻《ひるがえ》ると、乗った親仁も馴れたもので、小児《こども》を担《かつ》いだまま仁王立《におうだち》。
 真蒼《まっさお》な水底《みなそこ》へ、黒く透《す》いて、底は知れず、目前《めさき》へ押被《おっかぶ》さった大巌《おおいわ》の肚《はら》へ、ぴたりと船が吸寄《すいよ》せられた。岸は可恐《おそろし》く水は深い。
 巌角《いわかど》に刻《きざ》を入れて、これを足懸《あしがか》りにして、こちらの堤防《どて》へ上《あが》るんですな。昨日《きのう》私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗《あぶらあせ》を流して漸々《ようよう》縋《すが》り着いて上《あが》ったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
 高坂は莞爾《にっこり》して、
「爪尖《つまさき》を懸けると更に苦《く》なく、負《おぶ》さった私の方がかえって目を塞《ふさ》いだばかりでした。
 さて、些《ちっ》と歩行《ある》かっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に流《ながれ》に遠ざかって、田の畦《あぜ》三つばかり横に切れると、今度は赤土《あかつち》の一本道、両側にちらほら松の植わっている処《ところ》へ出ました。
 六月の中ばとはいっても、この辺には珍《めずら》しい酷《ひど》く暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山《とむろやま》が雲を吐いて、処々《ところどころ》田の水へ、真黒な雲が往《い》ったり、来たり。
 並木《なみき》の松と松との間が、どんよりして、梢《こずえ》が鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、立樹《たちき》を五本と越えない中《うち》に、車軸を流す烈しい驟雨《ゆうだち》。ちょッ待て待て、と独言《ひとりごと》して、親仁《おやじ》が私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、紋着《もんつき》を剥《は》いで、浅葱《あさぎ》の襟《えり》の細く掛《かか》った襦袢《じゅばん》も残らず。
 小児《こども》は糸も懸けぬ全裸体《まるはだか》。
 雨は浴《あび》るようだし、恐《こわ》さは恐し、ぶるぶる顫《ふる》えると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を一丸《ひとまる》げにして、懐中を膨《ふく》らますと、紐を解いて、笠を一文字に冠《かぶ》ったです。
 それから幹に立たせて置いて、やがて例の桐油合羽《とうゆがっぱ》を開いて、私の天窓《あたま》からすっぽりと目ばかり出るほど、まるで渋紙《しぶかみ》の小児《こども》の小包。
 いや! 出来た、これなら海を潜《もぐ》っても濡れることではない、さあ、真直《まっすぐ》に前途《むこう》へ駈け出せ、曳《えい》、と言うて、板で打《ぶ》たれたと思った、私の臀《しり》をびたりと一つ。
 濡れた団扇《うちわ》は骨ばかりに裂けました。
 怪飛《けしと》んだようになって、蹌踉《よろ》けて土砂降《どしゃぶり》の中を飛出《とびだ》すと、くるりと合羽《かっぱ》に包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。
 赤蛙《あかがえる》が化けたわ、化けたわと、親仁《おやじ》が呵々《からから》と笑ったですが、もう耳も聞えず真暗三宝《まっくらさんぼう》。何か黒山《くろやま》のような物に打付《ぶッつ》かって、斛斗《もんどり》を打って仰様《のけざま》に転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬の嘶《いなな》く声。
 漸々《ようよう》人の手に扶《たす》け起《おこ》されると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥った婆《ばあ》さん。馬士《まご》が一人|腕組《うでぐみ》をして突立《つッた》っていた。門《かど》の柳の翠《みどり》から、黒駒《くろこま》の背へ雫《しずく》が流れて、はや雲切《くもぎれ》がして、その柳の梢《こずえ》などは薄雲の底に蒼空《あおぞら》が動いています。
 妙なものが降り込んだ。これが豆腐《とうふ》なら資本《もとで》入《い》らずじゃ、それともこのまま熨斗《のし》を附けて、鎮守様《ちんじゅさま》へ納《おさ》めさっしゃるかと、馬士《まご》は掌《てのひら》で吸殻《すいがら》をころころ遣《や》る。
 主《ぬし》さ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺《あたり》をきょときょと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すばかり。
 何処《どこ》から出た乞食《こじき》だよ、とまた酷《ひど》いことを言います。尤《もっと》も裸体《はだか》が渋紙《しぶかみ》に包まれていたんじゃ、氏素性《うじすじょう》あろうとは思わぬはず。
 衣物《きもの》を脱がせた親仁《おやじ》はと、唯《ただ》悔《くや》しく、来た方を眺めると、脊《せ》が小さいから馬の腹を透《す》かして雨上りの松並木、青田《あおだ》の縁《へり》の用水に、白鷺《しらさぎ》の遠く飛ぶまで、畷《なわて》がずっと見渡されて、西日がほんのり紅《あか》いのに、急な大雨で往来《ゆきき》もばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
 余《あまり》の事にしくしく泣き出すと、こりゃ餒《ひもじゅ》うて口も利けぬな、商売品《あきないもの》で銭《ぜに》を噛ませるようじゃけれど、一つ振舞《ふるも》うて遣《や》ろかいと、汚《きたな》い土間に縁台《えんだい》を並べた、狭ッくるしい暗い隅《すみ》の、苔《こけ》の生えた桶《おけ》の中から、豆腐《とうふ》を半挺《はんちょう》、皺手《しわで》に白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺《ほっぺた》の処《ところ》へ突出《つきだ》してくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
 そのくせ腹は干《ほ》されたように空いていましたが、胸一杯になって、頭《かぶり》を掉《ふ》ると、はて食好《しょくごのみ》をする犬の、と呟《つぶや》いて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を享《う》けぬ餓鬼《がき》め、出て失《う》せと、私の胸へ突懸《つッか》けた皺だらけの手の黒さ、顔も漆《うるし》で固めたよう。
 黒婆《くろばば》どの、情《なさけ》ない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士《まご》が中へ割って入《い》ると、貸《かし》を返せ、この人足めと怒鳴《どな》ったです。するとその豆腐の桶のある後《うしろ》が、蜘蛛《くも》の巣だらけの藤棚で、これを地境《じざかい》にして壁も垣《かき》もない隣家《となり》の小家《こいえ》の、炉《ろ》の縁《ふち》に、膝に手を置いて蹲《うずくま》っていた、十《とお》ばかりも年上らしいお媼《ばあ》さん。
 見兼ねたか、縁側《えんがわ》から摺《ず》って下《お》り、ごつごつ転がった石塊《いしころ》を跨《また》いで、藤棚を潜《くぐ》って顔を出したが、柔和《にゅうわ》な面相《おもざし》、色が白い。
 小児衆《こどもしゅう》小児衆、私《わし》が許《とこ》へござれ、と言う。疾《はや》く白媼《しろうば》が家《うち》へ行《ゆ》かっしゃい、借《かり》がなくば、此処《ここ》へ馬を繋ぐではないと、馬士《まご》は腰の胴乱《どうらん》に煙管《きせる》をぐっと突込《つッこ》んだ。
 そこで裸体《はだか》で手を曳《ひ》かれて、土間の隅を抜けて、隣家《となり》へ連込《つれこ》まれる時分には、鳶《とび》が鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼《まつり》の太鼓《たいこ》が聞えました。」
 高坂は打案《うちあん》じ、
「渡場《わたしば》からこちらは、一生私が忘れない処《ところ》なんだね、で今度来る時も、前《さき》の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行《ゆ》くようになったから、人通《ひとどおり》もなし。大方、その馬士《まご》も、老人《としより》も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋《うず》めた、丁《ちょう》どその上を、姉《ねえ》さん。」
 花売《はなうり》は後姿《うしろすがた》のまま引留《ひきと》められたようになって停《とま》った。
「貴女《あなた》と二人で歩行《ある》いているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 と静《しずか》に前へ。高坂も徐《おもむ》ろに、
「娘が来て世話をするまで、私《わし》には衣服《きもの》を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒《ひもじ》かろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡《いろり》の灰の中に、ぶすぶすと燻《くすぶ》っていたのを、抜き出してくれたのは、串《くし》に刺した茄子《なす》の焼いたんで。
 ぶくぶく樺色《かばいろ》に膨《ふく》れて、湯気《ゆげ》が立っていたです。
 生豆腐《なまどうふ》の手掴《てづかみ》に比べては、勿体《もったい》ない御料理と思った。それにくれるのが優《やさ》しげなお婆さん。
 地《つち》が性《しょう》に合うで好《よ》う出来るが、まだこの村でも初物《はつもの》じゃという、それを、空腹《すきばら》へ三つばかり頬張《ほおば》りました。熱い汁《つゆ》が下腹《したばら》へ、たらたらと染《し》みた処《ところ》から、一睡《ひとねむり》して目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、瀉《くだ》すやら、尾籠《びろう》なお話だが七顛八倒《しちてんはっとう》。能《よく》も生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗《きれい》な娘で。
 人心地《ひとごこち》もなく苦しんだ目が、幽《かすか》に開《あ》いた時、初めて見た姿は、艶《つやや》かな黒髪《くろかみ》を、男のような髷《まげ》に結んで、緋縮緬《ひぢりめん》の襦袢《じゅばん》を片肌《かたはだ》脱いでいました。日が経《た》って医王山へ花を採りに、私の手を曳《ひ》いて、楼《たかどの》に朱の欄干《てすり》のある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜《あさづきよ》に、田圃道《たんぼみち》へ出た時は、中形《ちゅうがた》の浴衣《ゆかた》に襦子《しゅす》の帯をしめて、鎌を一挺、手拭《てぬぐい》にくるんでいたです。その間《あいだ》に、白媼《しろうば》の内《うち》を、私を膝に抱いて出た時は、髷《まげ》を唐輪《からわ》のように結《ゆ》って、胸には玉を飾って、丁《ちょう》ど天女《てんにょ》のような扮装《いでたち》をして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集《ぐんじゅ》の中を、通ったですが、村の者が交《かわ》る交《がわ》る高く傘を※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]掛《さしか》けて練《ね》ったですね。
 村端《むらはずれ》で、寺に休むと、此処《ここ》で支度《したく》を替えて、多勢《おおぜい》が口々《くちぐち》に、御苦労、御苦労というのを聞棄《ききず》てに、娘は、一人の若い者に負《おんぶ》させた私にちょっと頬摺《ほおずり》をして、それから、石高路《いしだかみち》の坂を越して、賑《にぎや》かに二階屋《にかいや》の揃った中の、一番|屋《や》の棟《むね》の高い家へ入ったですが、私は唯《ただ》幽《かすか》に呻吟《うめ》いていたばかり。尤《もっと》も白姥《しろうば》の家に三晩《みばん》寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て
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