たんとお鳥目《ちょうもく》が頂けます。まあ、どんなに綺麗《きれい》でございましょう。
そして貴方《あなた》、お望《のぞみ》の草をお採り遊ばすお心当《こころあたり》はどの辺でござんすえ。」
と笠《かさ》ながら差覗《さしのぞ》くようにして親しく聞く、時に清《すずし》い目がちらりと見えた。
高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境《ゆうきょう》の仙家《せんか》に導く牧童《ぼくどう》などに逢う思いがしたので、言《ことば》も自《おのず》から慇懃《いんぎん》に、
「私も其処《そこ》へ行《ゆ》くつもりです。四季の花の一時《いっとき》に咲く、何という処《ところ》でしょうな。」
「はい、美女《びじょ》ヶ|原《はら》と申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
女は俯向《うつむ》いて羞《は》じたる色あり、物の淑《つつま》しげに微笑《ほほえ》む様子。
可懐《なつかし》さに振返《ふりかえ》ると、
「あれ。」と袖《そで》を斜《ななめ》に、袂《たもと》を取って打傾《うちかたむ》き、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
その草染《くさぞめ》の左の袖に、はらはらと五片三片《いつひらみひら》紅《くれない》を点じたのは、山鳥《やまどり》の抜羽《ぬけは》か、非《あら》ず、蝶《ちょう》か、非《あら》ず、蜘蛛《くも》か、非《あら》ず、桜の花の零《こぼ》れたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処《どこ》からともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処《どこ》に桜があるか分りません。美女ヶ原へ行《ゆ》きますと、十里|南《みなみ》の能登《のと》の岬《みさき》、七里|北《きた》に越中立山《えっちゅうたてやま》、背後《うしろ》に加賀《かが》が見晴せまして、もうこの節《せつ》は、霞《かすみ》も霧もかかりませんのに、見紛《みまご》うようなそれらしい花の梢《こずえ》もござんせぬが、大方《おおかた》この花片《はなひら》は、煩《うるさ》い町方《まちかた》から逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使《おつかい》に歩いているのかも知れません。」
と女が高く仰《あお》ぐに連《つ》れ、高坂も葎《むぐら》の中に伸上《のびあが》った。草の緑が深くなって、倒《さかさま》に雲に映《うつ》るか、水底《みなそこ》のような天《てん》の色、神霊秘密《しんれいひみつ》の気《き》を籠《こ》めて、薄紫《うすむらさき》と見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れない中《うち》行《ゆ》かれるでしょうか。」
「否《いいえ》、こう桜が散って参りますから、直《じき》でございます。私も其処《そこ》まで、お供いたしますが、今日こそ貴方《あなた》のようなお連《つれ》がございますけれど、平時《いつも》は一人で参りますから、日一杯《ひいっぱい》に里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬ状《さま》。
「どんなにまた遠い処《ところ》のように、樵夫《きこり》がお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚《こころおぼえ》が丁《ちゃん》とある。先ず凡《およ》そ山の中を二日も三日も歩行《ある》かなけれゃならないですな。
尤《もっと》も上《のぼ》りは大抵《たいてい》どのくらいと、そりゃ予《かね》て聞いてはいるんですが、日一杯だのもう直《じき》だの、そんなに輒《たやす》く行《ゆ》かれる処とは思わない。
御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、巌《いわ》にも躓《つまず》かず、衣物《きもの》に綻《ほころび》が切れようじゃなし、生爪《なまづめ》一つ剥《はが》しやしない。
支度《したく》はして来たっても餒《ひもじ》い思いもせず、その蒼《あお》い花の咲く草を捜さなけりゃならんほど渇《かわ》く思いをするでもなし、勿論《もちろん》この先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰《ひがえり》をするという、姉《ねえ》さんと一所《いっしょ》に行《ゆ》くんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足《ひとあし》ずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、訳《わけ》はございません、貴方《あなた》、そんなに可恐《おそろしい》処《ところ》と御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
言下《ごんか》に、
「実際|命懸《いのちがけ》で来ました。」と思い入《い》って答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
でも何もそんな難《むずか》しい御山《おやま》ではありません。但《ただ》此処《ここ》は霊山《れいざん》とか申す事、酒を覆《こぼ》したり、竹の皮を打棄《うっちゃ》ったりする処《ところ》ではないのでございます。まあ、難有《ありがた》いお寺の庭、お宮の境内《けいだい》、上《うえ》つ方《がた》の御門《ごもん》の内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく謹《つつし》みませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方《あなた》は、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処《そこ》までお越し遊ばすに、二日も三日もお懸《かか》りなさらねばなりませんような気がすると仰有《おっしゃ》いますが、何時《いつ》か一度お上《のぼ》り遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
「確《たしか》に美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅《つつじ》や椿《つばき》、菊も藤も、原《はら》一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処《どこ》が何だか全然《まるで》夢中。
今だってやっぱり、私は同一《おなじ》この国の者なんですが、その時は何為《なぜ》か家を出て一月|余《あまり》、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》って、漸々《ようよう》其処《そこ》を見たように思うですが。」
高坂は語りつつも、長途《ちょうと》に苦《くるし》み、雨露《あめつゆ》に曝《さら》された当時を思い起すに付け、今も、気弱り、神《しん》疲れて、ここに深山《みやま》に塵《ちり》一つ、心に懸《かか》らぬ折ながら、なおかつ垂々《たらたら》と背《そびら》に汗。
糸のような一条路《ひとすじみち》、背後《うしろ》へ声を運ぶのに、力を要した所為《せい》もあり、薬王品《やくおうほん》を胸に抱《いだ》き、杖を持った手に帽《ぼう》を脱ぐと、清き額《ひたい》を拭《ぬぐ》うのであった。
それと見る目も敏《さと》く、
「もし、御案内がてら、あの、私がお前《さき》へ参りましょう。どうぞ、その方がお話も承《うけたまわ》りようございますから。」
一議《いちぎ》に及ばず、草鞋《わらじ》を上げて、道を左へ片避《かたよ》けた、足の底へ、草の根が柔《やわらか》に、葉末《はずえ》は脛《はぎ》を隠したが、裾《すそ》を引く荊《いばら》もなく、天地《てんち》閑《かん》に、虫の羽音《はおと》も聞えぬ。
三
「御免なさいまし。」
と花売《はなうり》は、袂《たもと》に留《と》めた花片《はなびら》を惜《おし》やはらはら、袖《そで》を胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜《すりぬ》けたその片足も葎《むぐら》の中、路はさばかり狭いのである。
五尺ばかり前にすらりと、立直《たちなお》る後姿、裳《もすそ》を籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱《あさぎ》に、日の色を隈取《くまど》る他に、一|木《ぼく》のありて長く影を倒すにあらず。
背後《うしろ》から声を掛け、
「大分《だいぶん》草深くなりますな。」
「段々|頂《いただき》が近いんですよ。やがてこの生《はえ》が人丈《ひとだけ》になって、私の姿が見えませんようになりますと、それを潜《くぐ》って出ます処《ところ》が、もう花の原でございます。」
と撫肩《なでかた》の優しい上へ、笠の紐|弛《ゆる》く、紅《べに》のような唇をつけて、横顔で振向《ふりむ》いたが、清《すず》しい目許《めもと》に笑《えみ》を浮べて、
「どうして貴方《あなた》はそんなにまあ唐天竺《からてんじく》とやらへでもお出《い》で遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
高坂は手なる杖を荒く支《つ》いて、土を騒がす事さえせず、慎《つつし》んで後《あと》に続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く隔《へだた》ったように思うのですから、事柄と一所《いっしょ》に路までも遙《はるか》に考えるのかも知れません。そうして先ず皆《みんな》夢ですよ。
けれども不残《のこらず》事実で。
私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔《ひとむかし》、ざっと二昔《ふたむかし》も前になるです、九歳《ここのつ》の年の夏。」
「まあ、そんなにお稚《ちいさ》い時。」
「尤《もっと》も一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も弁《わきま》えぬ、取って九歳《ここのつ》の小児《こども》ばかり。
人は高坂の光《みい》、私の名ですね、光坊《みいぼう》が魔に捕《と》られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗《てんぐ》に攫《さら》われたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心《おさなごころ》で、自分じゃ一端《いっぱし》親を思ったつもりで。
まだ両親《ふたおや》ともあったんです。母親が大病で、暑さの取附《とッつき》にはもう医者が見放したので、どうかしてそれを復《なお》したい一心で、薬を探しに来たんですな。」
高坂は少時《しばらく》黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴《ふいちょう》をするようで人聞《ひとぎき》が悪いですが、姉さん、貴女《あなた》ばかりだから話をする。
今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に開《ひら》けていたって、北国《ほくこく》の山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで匙《さじ》を投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様《おっかさん》は病気《きいきい》が悪いから、大人《おとな》しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入《ではいり》、家《うち》の者の起居挙動《たちいふるまい》、大病というのは知れる。
それにその名医というのが、五十|恰好《かっこう》で、天窓《あたま》の兀《は》げたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形《やさがた》な親仁《おやじ》で、脈を取るにも、蛇《じゃ》の目《め》の傘《かさ》を差すにも、小指を反《そら》して、三本の指で、横笛を吹くか、女郎《じょろう》が煙管《きせる》を持つような手付《てつき》をする、好かない奴。
私がちょこちょこ近処《きんじょ》だから駈出《かけだ》しては、薬取《くすりとり》に行《ゆ》くのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥《おい》とかいう、ぺろりと長い顔の、額《ひたい》から紅《べに》が流れたかと思う鼻の尖《さき》の赤い男、薬箪笥《くすりだんす》の小抽斗《こひきだし》を抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減《さじかげん》が如何《いか》にも怪《あや》しい。
相応《そうおう》に流行《はや》って、薬取《くすりとり》も多いから、手間取《てまど》るのが焦《じれ》ったさに、始終|行《ゆ》くので見覚えて、私がその抽斗《ひきだし》を抜いて五つも六つも薬局の机に並べて遣《や》る、終《しまい》には、先方《さき》の手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方《めかた》が揃《そろ》うくらい、大病だって何だって、そんな覚束《おぼつか》ない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
その頃父は小立野《こだつの》と言う処《ところ》の、験《げん》のある薬師《やくし》を信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい
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