し》を渡ったには全く渡ったですよ。
 山路《やまじ》は一日がかりと覚悟をして、今度来るには麓《ふもと》で一泊したですが、昨日《きのう》丁度《ちょうど》前《ぜん》の時と同一《おなじ》時刻、正午《ひる》頃です。岩も水も真白な日当《ひあたり》の中を、あの渡《わたし》を渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着《ふなつき》の岩も、船出《ふなで》の松も、確《たしか》に覚えがありました。
 しかし九歳《ここのつ》で越した折は、爺《じい》さんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
 昨日《きのう》は唯《ただ》綱を手繰《たぐ》って、一人で越したです。乗合《のりあい》も何《なんに》もない。
 御存じの烈しい流《ながれ》で、棹《さお》の立つ瀬はないですから、綱は二条《ふたすじ》、染物《そめもの》をしんし[#「しんし」に傍点]張《ばり》にしたように隙間《すきま》なく手懸《てがかり》が出来ている。船は小さし、胴《どう》の間《ま》へ突立《つッた》って、釣下《つりさが》って、互違《たがいちがい》に手を掛けて、川幅三十|間《けん》ばかりを小半時《こはんとき》、幾度《いくたび》もはっと思っちゃ、危《あぶな》さに自然《ひとりで》
前へ 次へ
全59ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング