》でて、ふと夜の明けたように、空|澄《す》み、気|清《きよ》く、時しも夏の初《はじめ》を、秋見る昼の月の如《ごと》く、前途遥《ゆくてはるか》なる高峰《たかね》の上に日輪《にちりん》を仰《あお》いだ高坂《こうさか》は、愕然《がくぜん》として振返《ふりかえ》った。
 人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸《よびか》けたのは女であった。けれども、高坂は一見して、直《ただち》に何ら害心《がいしん》のない者であることを認め得た。
 女は片手拝《かたておが》みに、白い指尖《ゆびさき》を唇にあてて、俯向《うつむ》いて経《きょう》を聞きつつ、布施をしようというのであるから、
「否《いや》、私《わし》は出家《しゅっけ》じゃありません。」
 と事もなげに辞退しながら、立停《たちどま》って、女のその雪のような耳許《みみもと》から、下膨《しもぶく》れの頬《ほお》に掛《か》けて、柔《やわらか》に、濃い浅葱《あさぎ》の紐《ひも》を結んだのが、露《つゆ》の朝顔の色を宿《やど》して、加賀笠《かががさ》という、縁《ふち》の深いので眉《まゆ》を隠した、背には花籠《は
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