なうり》は、袂《たもと》に留《と》めた花片《はなびら》を惜《おし》やはらはら、袖《そで》を胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜《すりぬ》けたその片足も葎《むぐら》の中、路はさばかり狭いのである。
五尺ばかり前にすらりと、立直《たちなお》る後姿、裳《もすそ》を籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱《あさぎ》に、日の色を隈取《くまど》る他に、一|木《ぼく》のありて長く影を倒すにあらず。
背後《うしろ》から声を掛け、
「大分《だいぶん》草深くなりますな。」
「段々|頂《いただき》が近いんですよ。やがてこの生《はえ》が人丈《ひとだけ》になって、私の姿が見えませんようになりますと、それを潜《くぐ》って出ます処《ところ》が、もう花の原でございます。」
と撫肩《なでかた》の優しい上へ、笠の紐|弛《ゆる》く、紅《べに》のような唇をつけて、横顔で振向《ふりむ》いたが、清《すず》しい目許《めもと》に笑《えみ》を浮べて、
「どうして貴方《あなた》はそんなにまあ唐天竺《からてんじく》とやらへでもお出《い》で遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
高坂は手なる杖を荒く支《つ》いて、土を騒がす事さえせず、慎《つつし》んで後《あと》に続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く隔《へだた》ったように思うのですから、事柄と一所《いっしょ》に路までも遙《はるか》に考えるのかも知れません。そうして先ず皆《みんな》夢ですよ。
けれども不残《のこらず》事実で。
私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔《ひとむかし》、ざっと二昔《ふたむかし》も前になるです、九歳《ここのつ》の年の夏。」
「まあ、そんなにお稚《ちいさ》い時。」
「尤《もっと》も一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も弁《わきま》えぬ、取って九歳《ここのつ》の小児《こども》ばかり。
人は高坂の光《みい》、私の名ですね、光坊《みいぼう》が魔に捕《と》られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗《てんぐ》に攫《さら》われたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心《おさなごころ》で、自分じゃ一端《いっぱし》親を思ったつもりで。
まだ両親《ふたおや》ともあったんです。母親が大病で、暑さの取附《とッつき》にはもう医者が見放したので、どうかしてそれを復《なお》したい一心で、薬を探しに来たんですな。」
高坂は少時《しばらく》黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴《ふいちょう》をするようで人聞《ひとぎき》が悪いですが、姉さん、貴女《あなた》ばかりだから話をする。
今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に開《ひら》けていたって、北国《ほくこく》の山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで匙《さじ》を投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様《おっかさん》は病気《きいきい》が悪いから、大人《おとな》しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入《ではいり》、家《うち》の者の起居挙動《たちいふるまい》、大病というのは知れる。
それにその名医というのが、五十|恰好《かっこう》で、天窓《あたま》の兀《は》げたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形《やさがた》な親仁《おやじ》で、脈を取るにも、蛇《じゃ》の目《め》の傘《かさ》を差すにも、小指を反《そら》して、三本の指で、横笛を吹くか、女郎《じょろう》が煙管《きせる》を持つような手付《てつき》をする、好かない奴。
私がちょこちょこ近処《きんじょ》だから駈出《かけだ》しては、薬取《くすりとり》に行《ゆ》くのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥《おい》とかいう、ぺろりと長い顔の、額《ひたい》から紅《べに》が流れたかと思う鼻の尖《さき》の赤い男、薬箪笥《くすりだんす》の小抽斗《こひきだし》を抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減《さじかげん》が如何《いか》にも怪《あや》しい。
相応《そうおう》に流行《はや》って、薬取《くすりとり》も多いから、手間取《てまど》るのが焦《じれ》ったさに、始終|行《ゆ》くので見覚えて、私がその抽斗《ひきだし》を抜いて五つも六つも薬局の机に並べて遣《や》る、終《しまい》には、先方《さき》の手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方《めかた》が揃《そろ》うくらい、大病だって何だって、そんな覚束《おぼつか》ない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
その頃父は小立野《こだつの》と言う処《ところ》の、験《げん》のある薬師《やくし》を信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい
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