い風が吹いて、むつと雲が蒸して、火鉢の傍《そば》だと半纏《はんてん》は脱ぎたいまでに、悪汗《わるあせ》が浸《にじ》むやうな、其暮方だつた。岩さんが仕事場から――行願寺《ぎょうがんじ》内にあつた、――路次うらの長屋へ帰つて来ると、何か、ものにそゝられたやうに、頻《しきり》に気の急《せ》く様子で、いつもの銭湯にも行かず、ざく/″\と茶漬で済まして、一寸友だちの許《とこ》へ、と云つて家を出た。
 留守には風が吹募る。戸障子ががた/\鳴る。引窓がばた/\と暗い口を開《あ》く。空模様は、その癖《くせ》、星が晃々《きらきら》して、澄切つて居ながら、風は尋常ならず乱れて、時々むく/\と古綿を積んだ灰色の雲が湧上がる。とぽつりと降る。降るかと思ふと、颯《さっ》と又|暴《あら》びた風で吹払ふ。
 次第に夜が更けるに従つて、何時か真暗に凄くなつた。
 女房は、幾度も戸口へ立つた。路地を、行願寺の門の外までも出て、通《とおり》の前後を瞰《みまわ》した。人通りも、もうなくなる。……釣には行つても、めつたにあけた事のない男だから、余計に気に懸けて帰りを待つのに。――小児《こども》たちが、また悪く暖《あたたか》い
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