語のためにいたく苦痛を感じたる状《さま》見えつ。
 老人はさこそあらめと思える見得《みえ》にて、
「どうだ、うらやましかったろう。おい、お香、おれが今夜|彼家《あすこ》の婚礼の席へおまえを連れて行った主意を知っとるか。ナニ、はいだ。はいじゃない。その主意を知ってるかよ」
 女は黙しぬ。首《こうべ》を低《た》れぬ。老夫はますます高調子。
「解《わか》るまい、こりゃおそらく解るまいて。何も儀式を見習わせようためでもなし、別に御馳走《ごちそう》を喰《く》わせたいと思いもせずさ。ただうらやましがらせて、情けなく思わせて、おまえが心に泣いている、その顔を見たいばっかりよ。ははは」
 口気|酒芬《しゅふん》を吐きて面《おもて》をも向くべからず、女は悄然《しょうぜん》として横に背《そむ》けり。老夫はその肩に手を懸《か》けて、
「どうだお香、あの縁女《えんじょ》は美しいの、さすがは一生の大礼だ。あのまた白と紅《あか》との三枚|襲《がさね》で、と羞《は》ずかしそうに坐《すわ》った恰好《かっこう》というものは、ありゃ婦人《おんな》が二度とないお晴れだな。縁女もさ、美しいは美しいが、おまえにゃ九目《せいもく》だ。婿もりっぱな男だが、あの巡査にゃ一段劣る。もしこれがおまえと巡査とであってみろ。さぞ目の覚《さ》むることだろう。なあ、お香、いつぞや巡査がおまえをくれろと申し込んで来たときに、おれさえアイと合点《がってん》すりゃ、あべこべに人をうらやましがらせてやられるところよ。しかもおまえが(生命《いのち》かけても)という男だもの、どんなにおめでたかったかもしれやアしない。しかしどうもそれ随意《まま》にならないのが浮き世ってな、よくしたものさ。おれという邪魔者がおって、小気味よく断わった。あいつもとんだ恥を掻《か》いたな。はじめからできる相談か、できないことか、見当をつけて懸《か》かればよいのに、何も、八田も目先の見えないやつだ。ばか巡査!」
「あれ伯父さん」
 と声ふるえて、後ろの巡査に聞こえやせんと、心を置きて振り返れる、眼《まなこ》に映ずるその人は、……夜目にもいかで見紛《みまが》うべき。
「おや!」と一言われ知らず、口よりもれて愕然《がくぜん》たり。
 八田巡査は一注の電気に感ぜしごとくなりき。

       四

 老人はとっさの間に演ぜられたる、このキッカケにも心着かでや、さらに
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