の重宝《ちょうほう》と云う瓢箪《ひょうたん》を出したり、酒を買う。――それから鎌を貸しな、滅多に人の通わぬ処、路はあっても熊笹ぐらいは切らざあなるまい。……早くおし。
百合 はい、はい。
学円 やあ、どぎどぎと鋭いな。(と鎌を見る。)
晃 月影に……(空へかざす)なお光るんだ。これでも鎌を研《と》ぐことを覚えたぜ。――こっちだ、こっちだ。(と先へ立つ。)
百合 お気をつけ遊ばせよ。(とうるみ声にて、送り出づる時、可愛《かわゆ》き人形袖にあり。)
晃 何だい、こんなもの。(見返る。)
百合 太郎がちょっとお見送り。(と袖でしめつつ)小父《おじ》ちゃんもお早くお帰りなさいまし、坊やが寂しゅうございます。(と云いながら、学円の顔をみまもり、小家《こや》の内を指し、うつむいてほろりとする。)
学円 (庇《かば》う状《さま》に手を挙げて、また涙ぐみ)御道理《ごもっとも》じゃ、が、大丈夫、夢にも、そんな事が、貴女、(と云って晃に向きかえ)私《わし》に逢うて、里心が出て、君がこれなり帰るまいか、という御心配じゃ。
百合 (きまりわるげに、つと背向《せむき》になる。)
晃 ああ、それで先刻《さっき》から……馬鹿、嬰児《ねんねえ》だな。
学円 何かい、ちょっと出懸《でがけ》に、キスなどせんでも可《い》いかい。
晃 旦那方じゃあるまいし、鐘撞《かねつき》弥太兵衛でがんすての。
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と両人連立ち行く。
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百合 (熟《じっ》としばし)まさかと思うけれど、ねえ、坊や、大丈夫お帰んなさるわねえ。おおおお目ン目を瞑《ねむ》って、頷《うなず》いて、まあ、可愛い。(と頬摺《ほおず》りし)坊やは、お乳《つぱ》をおあがりよ。母《かあ》さんは一人でお夕飯も欲しくない。早く片附けてお留守をしましょう。一人だと見て取ると、村の人が煩《うるさ》いから、月は可《よ》し、灯を消して戸をしめて。――
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と框《かまち》にずッと雨戸を閉める。閉め果てると、戸の鍵《かぎ》がガチリと下りる。やがて、納戸の燈《ともしび》、はっと消ゆ。
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※[#歌記号、1−3−28]出る化ものの数々は、一ツ目、見越《みこし》、河太郎、獺《かわうそ》に、海坊主、天守におさかべ、化猫は赤手拭《あかてぬぐい》、篠田《しのだ》に葛《くず》の葉、野干平《やかんべい》、古狸の腹鼓《はらつづみ》、ポコポン、ポコポン、コリャ、ポンポコポン、笛に雨を呼び、酒買小僧、鉄漿着女《かねつけおんな》の、けたけた笑《わらい》、里の男は、のっぺらぼう。
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と唄――
与十《よじゅう》、竹の小笠《おがさ》を仰向《あおむ》けに、鯉《こい》を一尾、嬉しそうな顔して見て、ニヤニヤと笑って出づ。
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与十 大《でか》い事をしたぞ。へい、雪さ豊年の兆《しるし》だちゅう、旱《ひでり》は魚《うお》の当りだんべい。大沼小沼が干たせいか、じょんじょろ水に、びちゃびちゃと泳いだ処を、ちょろりと掬《しゃく》った。……(鯉跳ねる)わい! 銀の鱗《うろこ》だ。ずずんと重い。四貫目あるべい。村長様が、大囲炉裡《おおいろり》の自在竹に掛った滝登りより、えッと大《でっけ》え。こりゃ己《おら》がで食おうより、村会議員の髯《ひげ》どのに売るべいわさ。やれ、鯉。髯どのに身売をしろじゃ。値になれ、値になれ。(鯉跳ねる)ふあ、銀の鱗だ。金《かね》が光る――光るてえば、鱗てえば、ここな、(と小屋を見て)鐘撞《かねつき》先生が打《ぶ》ってしめた、神官《かんぬし》様の嬢様さあ、お宮の住居《すまい》にござった時分は、背中に八枚鱗が生えた蛇体だと云っけえな。……そんではい、夜さり、夜ばいものが、寝床を覗《のぞ》くと、いつでもへい、白蛇《しろへび》の長《なげ》いのが、嬢様のめぐり廻って、のたくるちッて、現に、はい、目のくり球廻らかいて火を吹いた奴《やつ》さえあっけえ。……
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鐘撞先生には何事もねえと見えるだ。まんだ、丈夫に活《い》きてござって、執殺《とりころ》されもさっしゃらねえ。見ろやい、取っても着けねえ処に、銀の鱗さ、ぴかぴかと月に光るちッて、汝《われ》がを、(と鯉をじろじろ)ばけものか蛇体と想うて、手を出さずば、うまい酒にもありつけぬ処だったちゅうものだ。――嬢様が手本だよ。はってな、今時分、真暗《まっくら》だ。舐殺《なめころ》されはしねえだかん、待ちろ。(と抜足で寄って、小屋の戸の隙間《すきま》を覗く。)
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蟹五郎《かにごろう》。朱顔、蓬《おどろ》なる赤毛頭《あかげがしら》、緋《ひ》の衣したる山伏の扮装《いでたち》。山牛蒡《やまごぼう》の葉にて捲《ま》いたる煙草《たばこ》を、シャと横銜《よこぐわ》えに、ぱっぱっと煙を噴きながら、両腕を頭上に突張《つッぱ》り、ト鋏《はさみ》を極込《きめこ》み、踞《しゃが》んで横這《よこばい》に、ずかりずかりと歩行《ある》き寄って、与十の潜見《すきみ》する向脛《むこうずね》を、かっきと挟んで引く。
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与十 痛《いて》え。(と叫んで)わっ、(と反る時、鯉ぐるみ竹の小笠を夕顔の蔭に投ぐ。)ひゃあ、藪沢《やぶさわ》の大蟹《おおがに》だ。人殺し!
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と怪《け》し飛んで遁《に》ぐ。――蟹五郎すかりすかりと横に追う。
鯉七《こいしち》。鯉の精。夕顔の蔭より、するすると顕《あらわ》る。黒白鱗《こくびゃくうろこ》の帷子《かたびら》、同じ鱗形《うろこがた》の裁着《たッつけ》、鰭《ひれ》のごときひらひら足袋。件《くだん》の竹の小笠に、面《おもて》を蔽《おお》いながら来り、はたとその小笠を擲《なげう》つ。顔白く、口のまわり、べたりと髯《ひげ》黒し。蟹、これを見て引返す。
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鯉七 (ばくばくと口を開けて、はっと溜息《ためいき》し)ああ、人間が旱《ひでり》の切なさを、今にして思当った。某《それがし》が水離れしたと同然と見える。……おお、大蟹、今ほどはお助け嬉しい、難有《ありがた》かったぞ。
蟹五郎 水心、魚心だ、その礼に及ぼうかい。また、だが、滝登りもするものが、何じゃとて、笠の台に乗せられた。
鯉七 里へ出る近道してな、無理な流《ながれ》を抜けたと思え。石に鰭が躓《つまず》いて、膚捌《はださばき》のならぬ処を、ばッさりと啖《くら》った奴よ。
蟹五郎 こいつにか。(と落ちたる笠を挟んで圧《おさ》える。)
鯉七 鬼若丸以来という、難儀に逢わせた。百姓めが、汝《うぬ》。(と笠を蹈《ふ》む。)
笠 己《おれ》じゃねえ、己じゃねえ。(と、声ばかりして蔭にて叫ぶ。)
鯉七 はあ、いかさま汝《きさま》のせいでもあるまい。助けてやろう――そりゃ行け。やい、稲が実ったら案山子《かかし》になれ!
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と放す。しかけにて、竹の小笠はたはたと煽《あお》って遁《に》げる。
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はははは飛ぶわ飛ぶわ、南瓜畠《かぼちゃばたけ》へ潜って候《そろ》。
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蟹五郎 人間の首が飛んだ状《さま》だな、気味助《きびすけ》、気味助。かッかッかッ。(と笑い)鯉七、これからどこへ行く。
鯉七 むう、ちと里方へ用がある。ところで滝を下って来た。何が、この頃の旱《ひでり》で、やれ雨が欲しい、それ水をくれろ、と百姓どもが、姫様《ひいさま》のお住居《すまい》、夜叉ヶ池のほとりへ五月蠅《うるさ》きほどに集《たか》って来《う》せる。それはまだ可《よ》い。が、何の禁厭《まじない》か知れぬまで、鉄釘《かなくぎ》、鉄火箸《かなひばし》、錆刀《さびがたな》や、破鍋《われなべ》の尻まで持込むわ。まだしもよ。お供物だと血迷っての、犬の首、猫の頭、目を剥《む》き、髯《ひげ》を動かし、舌をべらべら吐く奴を供えるわ。胡瓜《きゅうり》ならば日野川の河童《かっぱ》が噛《かじ》ろう、もっての外な、汚穢《むそ》うて汚穢うて、お腰元たちが掃除をするに手が懸《かか》って迷惑だ。
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ところで、姫様《ひいさま》のお乳母どの、湯尾峠《ゆのおとうげ》の万年姥《まんねんうば》が、某《それがし》へ内意==降らぬ雨なら降るまでは降らぬ、向後汚いものなど撒散《まきち》らすにおいてはその分に置かぬ==と里へ出て触れい、とある。ためにの、この鰭《ひれ》を煩わす、厄介な人間どもよ。
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蟹五郎 その事かい、御苦労、御苦労。ところで、大池の姫様《ひいさま》には、なかなか雨を下さる思召《おぼしめし》は当分ないかい。
鯉七 分らんの。旱は何も、姫様《ひいさま》御存じの事ではない。第一、其許《そこもと》なども知る通りよ。姫様は、それ、御縁者、白山《はくさん》の剣ヶ峰千蛇ヶ池の若旦那にあこがれて、恋し、恋しと、そればかり思詰めてましますもの、人間の旱なんぞ構っている暇があるものかッてい。
蟹五郎 神通《じんずう》広大――俺をはじめ考えるぞ。さまで思悩んでおいでなさらず、両袖で飜然《ひらり》と飛んで、疾《はや》く剣ヶ峰へおいでなさるが可《よ》いではないか。
鯉七 そこだの、姫様《ひいさま》が座をお移し遊ばすと、それ、たちどころに可恐《おそろ》しい大津波が起って、この村里は、人も、馬も、水の底へ沈んでしまう……
蟹五郎 何が、何が、第一俺が住居《すまい》も広うなる……村が泥沼になるを、何が遠慮だ。勧めろ、勧めろ。
鯉七 忘れたか、鐘《つりがね》がここにある。……御先祖以来、人間との堅い約束、夜昼三度、打つ鐘を、彼奴等《あいつら》が忘れぬ中《うち》は、村は滅びぬ天地の誓盟《ちかい》。姫様《ひいさま》にも随意《まま》にならぬ。さればこそ、御鬱懐《ごうっかい》、その御ふびんさ、おいとしさを忘れたの。
蟹五郎 南無三宝《なむさんぽう》、堂の下で誓を忘れて、鐘《つりがね》の影を踏もうとした。が、山も田圃《たんぼ》も晃々《きらきら》とした月夜だ。まだまだしめった灰も降らぬとなると、俺も沢を出て、山の池、御殿の長屋へ行《ゆ》かずばなるまい。同道を頼むぞ、鯉。
鯉七 むむ、その儀は、ぱくりと合点《のみこ》んだ。かわりにはの、道が寂しい……里へは、きこう同道せい。
蟹五郎 帰途《かえり》はお池へ伴侶《みちづれ》だ。
鯉七 月の畷《なわて》を、唄うて行《ゆ》こうよ。
蟹五郎 何と唄う?
鯉七 ==山を川にしょう==と唄おうよ。
蟹五郎 面白い。
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と同音に、鯉はふらふらと袖を動かし、蟹は、ぱッぱッと煙《けむ》を吹いて、==山を川にしょう、山を川にしょう==と同音に唄い行く。行掛けて淀《よど》み、行途《むこう》を望む。
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鯉七 待て、見馴《みな》れぬものが、何やら田の畝《あぜ》を伝うて来る。
蟹五郎 かッかッ、怪しいものだ。小蔭《こがく》れて様子を見んかい。
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両個、姿を隠す。
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百合 (人形を抱き、媚《なまめ》かしき風情にて戸を開き戸外《こがい》に出づ。)夜の長い事、長い事……何の夏が明易《あけやす》かろう。坊やも寝られないねえ、――お月様幾つ、お十三、七つ――今も誰やら唄うて通ったのをお聞きかい、――山を川にしょ――ああ、この頃では村の人が、山を川にもしたかろう、お気の毒だわねえ。……まあ、良い月夜、峰の草も見えるような。晃さん、お客様の影も、あの、松のあたりに見えようも知れないから、鐘堂《かねつきどう》へ上《あが》りましょうね。……ひょっとかして、袖でも触っ
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