こへ来たばかりで、もの語《かたり》の中の人になったろう……僕はもう一層、その上を、物語、そのものになったんだ。
学円 薄気味の悪い事を云うな。では、君の細君は、……(云いつつ憚《はばか》る。)
晃 (納戸を振向く)衣服《きもの》でも着換えるか、髪など撫《なで》つけているだろう。……襖《ふすま》一重だから、背戸へ出た。……
学円 (伸上り納戸越に透かして見て)おい、水があるか、蘆《あし》の葉の前に、櫛《くし》にも月の光が射《さ》して、仮髪《かつら》をはずした髪の艶《つや》、雪国と聞くせいか、まだ消残って白いように、襟脚、脊筋も透通る。……凄《すご》いまで美しいが、……何か、細君は魔法つかいか。
晃 可哀想《かわいそう》な事を言え、まさか。
学円 ふん。
晃 この土地、この里――この琴弾谷が、一個《ひとつ》の魔法つかいだと云うんだよ。――
山沢、君は、この山奥の、夜叉ヶ池というのを聞いたか。
学円 聞いた。しかもその池を見ようと思って、今庄《いまじょう》駅から五里ばかり、わざわざここまで入込《いりこ》んだのじゃ。
晃 僕も一昨年《おととし》、その池を見ようと思って、ただ一人、この谷へ入った
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