》ないか。洟垂《はなったら》しが、俺は料簡《りょうけん》が広いから可《い》いが、気の早いものは国賊だと思うぞ、汝《きさま》。俺なぞは、鉱蔵は、村はもとよりここに居るただこの人民蒼生《じんみんそうせい》のためというにも、何時《なんどき》でも生命を棄てるぞ。
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時に村人は敬礼し、村長は頤《あご》を撫《な》で、有志は得意を表す。
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晃 死ね!(と云うまま落したる利鎌《とがま》を取ってきっと突《つき》つく。)
鉱蔵 わあ。(と思わず退《さが》る。)
晃 死ね、死ね、死ね、民のために汝《きさま》死ね。見事に死んだら、俺も死んで、それから百合を渡してやる。死ね、死《しな》ないか。
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とじりりと寄るたび、鉱蔵ひょこひょこと退る。お百合、晃の手に取縋ると、縋られた手を震わしながら、
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し、しからずんば決闘せい。
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一同その詰寄るを、わッわと遮り留《とど》む。
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傍《そば》へ寄るな、口が臭いや、こいつらも! 汝等《きさまら》は、その成金《なりきん》に買われたな。これ、昔も同じ事があった。白雪、白雪という、この里の処女だ。権勢と迫害で、可厭《いや》がるものを無理に捉《とら》えて、裸体《はだか》を牛に縛《いまし》めて、夜叉ヶ池へ追上せた。……処女は、口惜《くや》しさ、恥かしさ、無念さに、生きて里へ帰るまい。其方《そなた》も、……其方も……追っては屠《ほふ》らるる。同じ生命《いのち》を、我に与えよ、と鼻頭《はなづら》を撫でて牛に言い含め、終夜《よもすがら》芝を刈りためたを、その牛の背に山に積んで、石を合せて火を放つと、鞭《むち》を当てるまでもない。白い手を挙げ、衝《つ》とさして、麓《ふもと》の里を教うるや否や、牛は雷《いかずち》のごとく舞下《まいさが》って、片端《かたっぱし》から村を焼いた。……麓にぱっと塵《ちり》のような赤い焔《ほのお》が立つのを見て、笑《えみ》を含んで、白雪は夜叉ヶ池に身を沈めたというのを聞かぬか。忘れたか。汝等。おれたちに指でも指してみろ、雨は降らいで、鹿見村は焔になろう。不埒《ふらち》な奴等だ。
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鉱蔵 世迷言《よまいごと》を饒舌《しゃべ》るな二才。村は今既に旱《ひでり》の焔に焼けておる。それがために雨乞するのじゃ。やあ衆《みんな》、手ぬるい、遣れ遣れ。(いずれも猶予するを見て)埒《らち》明《あ》かんな、伝吉ども来い。(と喚《わめ》く。)
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博徒伝吉、威《おどし》の長ドスをひらめかし、乾児《こぶん》、得ものを振って出づ。
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伝吉 畳んでしまえ、畳んでしまえ。
乾児 合点《がってん》だ。
晃 山沢、危いぞ。
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とお百合を抱くようにして三人|鐘楼《しょうろう》に駈上《かけあが》る。学円は奥に、上り口に晃、お百合、と互に楯《たて》にならんと争う。やがて押退《おしの》けて、晃、すっくと立ち、鎌を翳《かざ》す。博徒、衆ともに下より取巻く。お百合、振上げたる晃の手に縋《すが》る。
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一同 遣れ遣れ、遣っちまえ、遣っちまえ。
学円 言語道断、いまだかつて、かかる、頑冥暴虐《がんめいぼうぎゃく》の民を知らん! 天に、――天に銀河白し、滝となって、落ちて来い。(合掌す。)
晃 大事な身体《からだ》だ、山沢は遁《に》げい、遁げい。
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と呼ばわりながら、真前《まっさき》に石段を上れる伝吉と、二打三打《ふたうちみうち》、稲妻のごとく、チャリリと合す。
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伝吉退く。時に礫《つぶて》をなげうつものあり。
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晃 (額に傷《きずつ》き血を圧《おさ》えて)あッ。(と鎌を取落す。)
百合 (サソクにその鎌を拾い)皆さん、私が死にます、言分《いいぶん》はござんすまい。(と云うより早く胸さきを、かッしと切る。)
晃 しまった!(と鎌を捩取《もぎと》る。)
百合 晃さん――御無事で――晃さん。(とがっくり落入る。)
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一同|色沮《いろはば》みて茫然《ぼうぜん》たり。
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晃 一人は遣らん! 茨《いばら》の道は負《おぶ》って通る。冥土《めいど》で待てよ。(と立直る。お百合を抱《いだ》ける、学円と面《おもて》を見合せ)何時だ。(と極めて冷静に聞く
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