。)
学円 (沈着に時計を透かして)二時三分。
晃 むむ、夜《よ》ごとに見れば星でも了《わか》る……ちょうど丑満《うしみつ》……そうだろう。(と昂然《こうぜん》として鐘を凝視し)山沢、僕はこの鐘を搗《つ》くまいと思う。どうだ。
学円 (沈思の後)うむ、打つな、お百合さんのために、打つな。
晃 (鎌を上げ、はた、と切る。どうと撞木《しゅもく》落つ。)
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途端にもの凄《すさまじ》き響きあり。――地震だ。――山鳴《やまなり》だ。――夜叉ヶ池の上を見い。夜叉ヶ池の上を見い。夜叉ヶ池の上を見い。真暗《まっくら》な雲が出た、――と叫び呼《よば》わる程こそあれ、閃電《せんでん》来り、瞬く間も歇《や》まず。衆は立つ足もなくあわて惑う、牛あれて一|蹴《け》りに駈《か》け散らして飛び行《ゆ》く。
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鉱蔵 鐘を、鐘を――
嘉伝次 助けて下され、鐘を撞《つ》いて下されのう。
宅膳 救わせたまえ。助けたまえ。
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と逃げまわりつつ、絶叫す。天地|晦冥《かいめい》。よろぼい上るもの二三人石段に這《は》いかかる。
晃、切払い、追い落し、冷々然として、峰の方《かた》に向って、学円と二人彫像のごとく立ちつつあり。
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晃 波だ。
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と云う時、学円ハタと俯伏《うつぶ》しになると同時に、晃、咽喉《のど》を斬《き》って、うつぶし倒る。
白雪。一際《ひときわ》烈《はげ》しきひかりものの中《うち》に、一たび、小屋の屋根に立顕《たちあらわ》れ、たちまち真暗《まっくら》に消ゆ。再び凄《すさまじ》じき電《いなびかり》に、鐘楼に来り、すっくと立ち、鉄杖《てつじょう》を丁《ちょう》と振って、下より空さまに、鐘に手を掛く。鐘ゆらゆらとなって傾く。
村一同|昏迷《こんめい》し、惑乱するや、万年姥《まんねんうば》、諸眷属《しょけんぞく》とともに立ちかかって、一人も余さず尽《ことごと》く屠《ほふ》り殺す。――
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白雪 姥《うば》、嬉しいな。
一同 お姫様。(と諸声《もろごえ》凄《すご》し。)
白雪 人間は?
姥 皆、魚《うお》に。早や泳いでおります。田螺《たにし》、鰌《どじょう》も見えまする。
一同 (哄《どっ》と笑う)ははははははは。
白雪 この新しい鐘ヶ|淵《ふち》は、御夫婦の住居《すまい》にしょう。皆おいで。私は剣ヶ峰へ行《ゆ》くよ。……もうゆきかよいは思いのまま。お百合さん、お百合さん、一所に唄をうたいましょうね。
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たちまちまた暗し。既にして巨鐘《きょしょう》水にあり。晃、お百合と二人、晃は、竜頭《りゅうず》に頬杖《ほおづえ》つき、お百合は下に、水に裳《もすそ》をひいて、うしろに反らして手を支き、打仰いで、熟《じっ》と顔を見合せ莞爾《にっこり》と笑む。
時に月の光|煌々《こうこう》たり。
学円、高く一人|鐘楼《しょうろう》に佇《たたず》み、水に臨んで、一揖《いちゆう》し、合掌す。
月いよいよ明《あきらか》なり。
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[#地から2字上げ](――幕)
[#地から1字上げ]大正二(一九一三)年三月
底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
1942(昭和17)年7月刊行開始
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:染川隆俊
2002年2月22日公開
2005年9月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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