さえ、約束を堅く守って、五百年、七百年、盟約《ちかい》を忘れぬではござりませぬか。盟約を忘れませねばこそ、朝六つ暮六つ丑満つ、と三度の鐘を絶《たや》しませぬ。この鐘の鳴りますうちは、村里を水の底には沈められぬのでござります。
白雪 ええ、怨《うら》めしい……この鐘さえなかったら、(と熟《じっ》と視《み》て、すらりと立直り)衆《みな》に、ここへ来いとお言い。
椿 (立って一方を呼ぶ。)召します。姫様《ひいさま》が召しますよ。
鯉七 (立上がり一方を)やあ、いずれも早く。(と呼ぶ。)
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眷属《けんぞく》ばらばらと左右に居流る。一同|得《え》ものを持てり。扮装《いでたち》おもいおもい、鎧《よろい》を着《つけ》たるもあり、髑髏《どくろ》を頭《かしら》に頂くもあり、百鬼夜行の体《てい》なるべし。
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虎杖 虎杖入道《いたどりにゅうどう》。
鯖江 鯖江《さばえ》ノ太郎。
鯖波 鯖波《さばなみ》ノ次郎。
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この両個、「兄弟のもの。」と同音に名告《なの》る。
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塚 十三塚の骨寄鬼《こつよせおに》。
蟹五郎 藪沢《やぶさわ》のお関守は既に先刻より。
椿 そのほか、夥多《あまた》の道陸神《どうろくじん》たち、こだますだま、魑魅《ちみ》、魍魎《もうりょう》。
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影法師、おなじ姿のもの夥多あり。目も鼻もなく、あたまからただ灰色の布を被《かぶ》る。
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影法師 影法師も交りまして。
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とこの名のる時、ちらちらと遠近《おちこち》に陰火燃ゆ。これよりして明滅す。
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鯉七 身内の面々、一同参り合せました。
鯰入 憚《はばか》りながら法師もこれに。……
白雪 おお、遠い路を、大儀。すぐにお返事を上げましょうね、そのために皆を呼びましたよ。
姥 や、彼方《あなた》へお返事につきまして、いずれもを召しました?――仰せつけられまする儀は?
白雪 姥《うば》、どう思うても私は行《ゆ》く。剣ヶ峰へ行かねばならぬ。鐘さえなくば盟約《ちかい》もあるまい……皆が、あの鐘、取って落して、微塵《みじん》になるまで砕いておしまい。
姥 ええええ仰せなればと云うて、いずれも必ずお動きあるな。(眼《まなこ》を光らし、姫を瞻《みつ》めて)まだそのようなわやくをおっしゃる。……身うちの衆をお召出し、お言葉がござりましては、わやくが、わやくになりませぬ。天の神々、きこえも可恐《おそれ》じゃ。……数《かず》の人間の生命《いのち》を断つ事、きっとおたしなみなさりませい。
白雪 人の生命のどうなろうと、それを私が知る事か!……恋には我身の生命も要らぬ。……姥、堪忍して行《ゆ》かしておくれ。
姥 ああ、お最惜《いとし》い。が、なりますまい。……もう多年《しばらく》御辛抱なさりますと、三十年、五十年とは申しますまい。今の世は仏の末法、聖《ひじり》の澆季《ぎょうき》、盟誓《ちかい》も約束も最早や忘れておりまする。やッと信仰を繋《つな》ぎますのも、あの鐘を、鳥の啄《つつ》いた蔓葛《つたかずら》で釣《つる》しましたようなもの、鎖も絆《きずな》も切れますのは、まのあたりでござります。それまでお堪《こら》えなさりまし。
白雪 あんな気の長い事ばかり。あこがれ慕う心には、冥土《よみじ》の関を据えたとて、夜《よ》のあくるのも待たりょうか。可《よ》し、可し、衆《みな》が肯《き》かずば私が自分で。(と気が入る。)
椿 あれ、お姫様。
姥 これは何となされます……取棄てて大事ない鐘なら、お前様のお手は待たぬ……身内に仰せまでもない。何、唐銅《からかね》の八千貫、こう痩《や》せさらぼえた姥が腕でも、指で挟んで棄てましょうが、重いは義理でござりまするもの。
白雪 義理や掟《おきて》は、人間の勝手ずく、我と我が身をいましめの縄よ。……鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言わるる私が身に、袖とて、褄《つま》とて、恋路を塞《ふさ》いで、遮る雲の一重《ひとえ》もない!……先祖は先祖よ、親は親、お約束なり、盟誓《ちかい》なり、それは都合で遊ばした。人間とても年が経《た》てば、ないがしろにする約束を、一呼吸《ひといき》早く私が破るに、何に憚《はばか》る事がある! ああ、恋しい人のふみを抱いて、私は心も悩乱した、姥、許して!
姥 成程、お気が乱れましたな。朝《あけ》六つ暮六つただ一度、今宵この丑満一つも、人間が怠れば、その時こそは瞬く間《ま》も待ちませぬ。お前様を、この姥がおぶい申して、お
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