木の子説法
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鱧《はも》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毛利|一樹《いちじゅ》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「魚+是」、第4水準2−93−60]
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「――鱧《はも》あみだ仏《ぶつ》、はも仏と唱うれば、鮒《ふな》らく世界に生れ、鯒《こち》へ鯒へと請《しょう》ぜられ……仏と雑魚《ざこ》して居べし。されば……干鯛《ひだい》貝らいし、真経には、蛸《たこ》とくあのく鱈《たら》――」
……時節柄を弁《わきま》えるがいい。蕎麦《そば》は二銭さがっても、このせち辛さは、明日の糧を思って、真面目《まじめ》にお念仏でも唱えるなら格別、「蛸とくあのく鱈。」などと愚にもつかない駄洒落《だじゃれ》を弄《もてあそ》ぶ、と、こごとが出そうであるが、本篇に必要で、酢にするように切離せないのだから、しばらく御海容を願いたい。
「……干鯛かいらいし……ええと、蛸とくあのく鱈、三百三もんに買うて、鰤菩薩《ぶりぼさつ》に参らする――ですか。とぼけていて、ちょっと愛嬌《あいきょう》のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」
こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸とくあのくたら。」しかり、これだけに対しても、三百三もんがほどの価値《ねうち》をお認めになって、口惜《くやし》い事はあるまいと思う。
つれは、毛利|一樹《いちじゅ》、という画工《えかき》さんで、多分、挿画家《そうがか》協会会員の中に、芳名が列《つらな》っていようと思う。私は、当日、小作《しょうさく》の挿画《さしえ》のために、場所の実写を誂《あつら》えるのに同行して、麻布我善坊《あざぶがぜんぼう》から、狸穴《まみあな》辺――化けるのかと、すぐまたおなかまから苦情が出そうである。が、憚《はばか》りながらそうではない。我ながらちょっとしおらしいほどに思う。かつて少年の頃、師家の玄関番をしていた折から、美しいその令夫人のおともをして、某子爵家の、前記のあたりの別荘に、栗を拾いに来た。拾う栗だから申すまでもなく毬《いが》のままのが多い。別荘番の貸してくれた鎌で、山がかりに出来た庭裏の、まあ、谷間で。御存じでもあろうが、あれは爪先《つまさき》で刺々《とげとげ》を軽く圧《おさ》えて、柄《え》を手許《てもと》へ引いて掻《か》く。……不器用でも、これは書生の方がうまかった。令夫人は、駒下駄《こまげた》で圧えても転げるから、褄《つま》をすんなりと、白い足袋はだし、それでも、がさがさと針を揺《ゆす》り、歯を剥《む》いて刎《は》ねるから、憎らしい……と足袋もとって、雪を錬《ね》りものにしたような素足で、裳《もすそ》をしなやかに、毬栗《いがぐり》を挟んでも、ただすんなりとして、露に褄もこぼれなかった。――この趣《おもむき》を写すのに、画工《えかき》さんに同行を願ったのである。これだと、どうも、そのまま浮世絵に任せたがよさそうに思われない事もない。が、そうすると、さもしいようだが、作者の方が飯にならぬ。そッとして置く。
もっとも三十年も以前の思出である。もとより別荘などは影もなくなった。が、狸穴、我善坊の辺だけに、引潮のあとの海松《みる》に似て、樹林は土地の隅々に残っている。餅屋が構図を飲込んで、スケッチブックを懐に納めたから、ざっと用済みの処、そちこち日暮だ。……大和田は程遠し、ちと驕《おご》りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科《さらしな》で。我が一樹も可なり飲《い》ける、二人で四五本傾けた。
時は盂蘭盆《うらぼん》にかかって、下町では草市が立っていよう。もののあわれどころより、雲を掻裂きたいほど蒸暑かったが、何年にも通った事のない、十番でも切ろうかと、曾我ではなけれど気が合って歩行《ある》き出した。坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地《くぼち》で、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下《がけした》から、日《ひ》ヶ窪の辺らしい。一所《ひとところ》、板塀の曲角に、白い蝙蝠《こうもり》が拡《ひろが》ったように、比羅《びら》が一枚|貼《は》ってあった。一樹が立留まって、繁った樫《かし》の陰に、表町の淡い燈《ひ》にすかしながら、その「――干鯛かいらいし――……蛸とくあのくたら――」を言ったのである。
「魚説法《うおせっぽう》、というのです――狂言があるんですね。時間もよし、この横へ入った処らしゅうございますから。」
すぐ角を曲るように、樹の枝も指せば、おぼろげな番組の末に箭《や》の標示がしてあった。古典な能の狂言も、社会に、尖端《せんたん》の簇《やじり》を飛ばすらしい。けれども、五十歩にたりぬ向うの辻の柳も射ない。のみならず、矢竹の墨が、ほたほたと太く、蓑《みの》の毛を羽にはいだような形を見ると、古俳諧にいわゆる――狸を威《おど》す篠張《しのはり》の弓である。
これもまた……面白い。
「おともしましょう、望む処です。」
気競《きお》って言うまで、私はいい心持に酔っていた。
「通りがかりのものです。……臨時に見物をしたいと存じますのですが。」
「望む所でございます。」
と、式台正面を横に、卓子《テエブル》を控えた、受附世話方の四十年配の男の、紋附の帷子《かたびら》で、舞袴《まいばかま》を穿《は》いたのが、さも歓迎の意を表するらしく気競《きお》って言った。これは私たちのように、酒気《さけけ》があったのでは決してない。
切符は五十銭である。第一、順と見えて、六十を越えたろう、白髪《しらが》のお媼《ばあ》さんが下足《げた》を預るのに、二人分に、洋杖《ステッキ》と蝙蝠傘を添えて、これが無料で、蝦蟇口《がまぐち》を捻《ひね》った一樹の心づけに、手も触れない。
この世話方の、おん袴に対しても、――(たかが半円だ、ご免を被って大きく出ておけ。)――軽少過ぎる。卓子《テエブル》を並べて、謡本少々と、扇子が並べてあったから、ほんの松の葉の寸志と見え、一樹が宝生雲の空色なのを譲りうけて、その一本を私に渡し、
「いかが。」
「これも望む処です。」
つい私は莞爾《にっこり》した。扇子店《おうぎみせ》の真上の鴨居《かもい》に、当夜の番組が大字《だいじ》で出ている。私が一わたり読み取ったのは、唯今《ただいま》の塀下ではない、ここでの事である。合せて五番。中に能の仕舞もまじって、序からざっと覚えてはいるが――狸の口上らしくなるから一々は記すまい。必要なのだけを言おう。
必要なのは――魚説法――に続く三番目に、一《ひとつ》、茸《きのこ》、(くさびら。)――鷺《さぎ》、玄庵――の曲である。
道の事はよくは知らない。しかし鷺の姿は、近ごろ狂言の流《ながれ》に影は映らぬと聞いている。古い隠居か。むかしものの物好《ものずき》で、稽古《けいこ》を積んだ巧者が居て、その人たち、言わば素人の催しであろうも知れない。狸穴近所には相応《ふさわ》しい。が、私のいうのは流儀の事ではない。曲である。
この、茸――
慌《あわただ》しいまでに、一樹が狂言を見ようとしたのも、他《ほか》のどの番組でもなく、ただこれあるがためであろう、と思う仔細《しさい》がある。あたかも一樹が、扇子のせめを切りながら、片手の指のさきで軽く乳のあたりと思う胸をさすって、返す指で、左の目を圧《おさ》えたのを見るにつけても。……
一樹を知ったほどのもので、画工《えかき》さんの、この癖を認めないものはなかろう。ちょいと内証で、人に知らせないように遣《や》る、この早業《はやわざ》は、しかしながら、礼拝と、愛撫と、謙譲と、しかも自恃《ほこり》をかね、色を沈静にし、目を清澄にして、胸に、一種深き人格を秘したる、珠玉を偲《しの》ばせる表顕《ひょうげん》であった。
こういううちにも、舞台――舞台は二階らしい。――一間四面の堂の施主が、売僧《まいす》の魚説法を憤って、
「――おのれ何としょうぞ――」
「――打たば打たしめ、棒鱈《ぼうだら》か太刀魚《たちうお》でおうちあれ――」
「――おのれ、また打擲《ちょうちゃく》をせいでおこうか――」
「――ああ、いかな、かながしらも堪《たま》るものではない――」
「――ええ、苦々しいやつかな――」
「――いり海老《えび》のような顔をして、赤目張《あかめば》るの――」
「――さてさて憎いやつの――」
相当の役者と見える。声が玄関までよく通って、その間に見物の笑声《わらいごえ》が、どッと響いた。
「さあ、こちらへどうぞ、」
「憚《はばか》り様。」
階子段《はしごだん》は広い。――先へ立つ世話方の、あとに続く一樹、と並んで、私の上りかかる処を、あがり口で世話方が片膝をついて、留まって、「ほんの仮舞台、諸事不行届きでありまして。」
挨拶《あいさつ》するのに、段を覗込《のぞきこ》んだ。その頭と、下から出かかった頭が二つ……妙に並んだ形が、早や横正面に舞台の松と、橋がかりの一二三の松が、人波をすかして、揺れるように近々と見えるので……ややその松の中へ、次の番組の茸が土を擡《もた》げたようで、余程おかしい。……いや、高砂《たかさご》の浦の想われるのに対しては、むしろ、むくむくとした松露であろう。
その景色の上を、追込まれの坊主が、鰭《ひれ》のごとく、キチキチと法衣《ころも》の袖《そで》を煽《あお》って、
「――こちゃただ飛魚《とびうお》といたそう――」
「――まだそのつれを言うか――」
「――飛魚しょう、飛魚しょう――」
と揚幕へ宙を飛んだ――さらりと落す、幕の隙《すき》に、古畳と破障子《やれしょうじ》が顕《あら》われて、消えた。……思え、講釈だと、水戸黄門が竜神の白頭《しろがしら》、床几《しょうぎ》にかかり、奸賊《かんぞく》紋太夫を抜打に切って棄てる場所に……伏屋《ふせや》の建具の見えたのは、どうやら寂《さ》びた貸席か、出来合の倶楽部などを仮に使った興行らしい。
見た処、大広間、六七十畳、舞台を二十畳ばかりとして、見物は一杯とまではない、が賑《にぎやか》であった。
この暑さに、五つ紋の羽織も脱がない、行儀の正しいのもあれば、浴衣で腕まくりをしたのも居る。――裾模様《すそもよう》の貴婦人、ドレスの令嬢も見えたが、近所居まわりの長屋連らしいのも少くない。印半纏《しるしばんてん》さえも入れごみで、席に劃《しきり》はなかったのである。
で、階子《はしご》の欄干際を縫って、案内した世話方が、
「あすこが透いております。……どうぞ。」
と云った。脇正面、橋がかりの松の前に、肩膝を透いて、毛氈《もうせん》の緋《ひ》が流れる。色紙、短冊でも並びそうな、おさらいや場末の寄席《よせ》気分とは、さすが品《しな》の違った座をすすめてくれたが、裾模様、背広連が、多くその席を占めて、切髪の後室も二人ばかり、白襟で控えて、金泥《きんでい》、銀地の舞扇まで開いている。
われら式、……いや、もうここで結構と、すぐその欄干に附着《くッつ》いた板敷へ席を取ると、更紗《さらさ》の座蒲団《ざぶとん》を、両人に当てがって、
「涼《すずし》い事はこの辺が一等でして。」
と世話方は階子を下りた。が、ひどく蒸暑い。
「御免を被って。」
「さあ、脱ぎましょう。」
と、こくめいに畳んで持った、手拭《てぬぐい》で汗を拭《ふ》いた一樹が、羽織を脱いで引《ひっ》くるめた。……羽織は、まだしも、世の中一般に、頭に被《かぶ》るものと極《きま》った麦藁《むぎわら》の、安値なのではあるが夏帽子を、居かわり立直る客が蹴散《けち》らし、踏挫《ふみひし》ぎそうにする……
また幕間で、人の起居《たちい》は忙しくなるし、あいにく通筋《とおりすじ》の板敷に席を取ったのだから堪《たま》らない。膝の上にのせれば、跨《また》ぐ。敷居に置けば、蹴る、脇へずらせば踏もうとする。
「ちょッ。」
一樹の囁《ささや》く処によれば、こうした能狂言
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