の客の不作法さは、場所にはよろうが、芝居にも、映画場にも、場末の寄席にも比較しようがないほどで。男も女も、立てば、座《すわ》ったものを下人《げにん》と心得る、すなわち頤《あご》の下に人間はない気なのだそうである。
 中にも、こども服のノーテイ少女、モダン仕立ノーテイ少年の、跋扈跳梁《ばっこちょうりょう》は夥多《おびただ》しい。……
 おなじ少年が、しばらくの間に、一度は膝を跨《また》ぎ、一度は脇腹を小突き、三度目には腰を蹴つけた。目まぐろしく湯呑所《ゆのみじょ》へ通ったのである。
 一樹が、あの、指を胸につけ、その指で、左の目をおさえたと思うと、
「毬栗《いがぐり》は果報ものですよ。」
 私を見て苦笑《にがわらい》しながら、羽織でくるくると夏帽子を包んで、みしと言わせて、尻にかって、投膝に組んで掌《てのひら》をそらした。
「がきに踏まれるよりこの方がさばさばします。」
 何としても、これは画工《えかき》さんのせいではない――桶屋《おけや》、鋳掛屋でもしたろうか?……静かに――それどころか!……震災|前《ぜん》には、十六七で、渠《かれ》は博徒の小僧であった。
 ――家、いやその長屋は、妻恋坂下《つまごいざかした》――明神の崖うらの穴路地で、二階に一室《ひとま》の古屋《ふるいえ》だったが、物干ばかりが新しく突立《つった》っていたという。――
 これを聞いて、かねて、知っていたせいであろう。おかしな事には、いま私たちが寄凭《よりかか》るばかりにしている、この欄干が、まわりにぐるりと板敷を取って、階子壇《はしごだん》を長方形の大穴に抜いて、押廻わして、しかも新しく切立っているので、はじめから、たとえば毛利一樹氏、自叙伝中の妻恋坂下の物見に似たように思われてならなかったのである。

「――これはこのあたりのものでござる――」
 藍《あい》の長上下《なががみしも》、黄の熨斗目《のしめ》、小刀をたしなみ、持扇《もちおうぎ》で、舞台で名のった――脊の低い、肩の四角な、堅くなったか、癇《かん》のせいか、首のやや傾《かし》いだアドである。

「――某《それがし》が屋敷に、当年はじめて、何とも知れぬくさびらが生えた――ひたもの取って捨つれども、夜《よ》の間には生え生え、幾たび取ってもまたもとのごとく生ゆる、かような不思議なことはござらぬ――」

 鷺玄庵、シテの出る前に、この話の必要上、一樹――本名、幹次郎《みきじろう》さんの、その妻恋坂の時分の事を言わねばならぬ。はじめ、別して酔った時は、幾度も画工《えかき》さんが話したから、私たちはほとんどその言葉通りといってもいいほど覚えている。が、名を知られ、売れッこになってからは、気振《けぶ》りにも出さず、事の一端に触れるのをさえ避けるようになった。苦心談、立志談は、往々にして、その反対の意味の、自己|吹聴《ふいちょう》と、陰性の自讃、卑下高慢になるのに気附いたのである。談中――主なるものは、茸《きのこ》で、渠《かれ》が番組の茸を遁《に》げて、比羅《びら》の、蛸《たこ》のとあのくたらを説いたのでも、ほぼ不断の態度が知れよう。
 但し、以下の一齣《ひとくさり》は、かつて、一樹、幹次郎が話したのを、ほとんどそのままである。

「――その年の残暑の激しさといってはありませんでした。内中皆|裸体《はだか》です。六畳に三畳、二階が六畳という浅間ですから、開放しで皆見えますが、近所が近所だから、そんな事は平気なものです。――色気も娑婆気《しゃばけ》も沢山な奴等《やつら》が、たかが暑いくらいで、そんな状《ざま》をするのではありません。実はまるで衣類がない。――これが寒中だと、とうの昔凍え死んで、こんな口を利くものは、貴方がたの前に消えてしまっていたんでしょうね。
 男はまだしも、婦《おんな》もそれです。ご新姐《しんぞ》――いま時、妙な呼び方で。……主人が医師《いしゃ》の出来損いですから、出来損いでも奥さん。……さしあたってな小博打《こばくち》が的《あて》だったのですから、三下《さんした》の潜《もぐ》りでも、姉さん。――話のついでですが、裸の中の大男の尻の黄色なのが主人で、汚れた畚褌《もっこふんどし》をしていたのです、褌が畚じゃ、姉《あね》ごとは行きません。それにした処で、姉《あね》さんとでも云うべき処を、ご新姐――と皆が呼びましたのは。――
 万世橋向うの――町の裏店《うらだな》に、もと洋服のさい取を萎《なや》して、あざとい碁会所をやっていた――金六、ちゃら金という、野幇間《のだいこ》のような兀《はげ》のちょいちょい顔を出すのが、ご新姐、ご新姐という、それがつい、口癖になったんですが。――膝股《ひざもも》をかくすものを、腰から釣《つる》したように、乳を包んだだけで。……あとはただ真白《まっしろ》な……冷い……のです。冷い、と極《き》めたのは妙ですけれども、飢えて空腹《ひだる》くっているんだから、夏でも火気はありますまい。死《しに》ぎわに熱でも出なければ――しかし、若いから、そんなに痩《や》せ細ったほどではありません。中肉で、脚のすらりと、小股《こまた》のしまった、瓜《うり》ざね顔で、鼻筋の通った、目の大《おおき》い、無口で、それで、ものいいのきっぱりした、少し言葉尻の上る、声に歯ぎれの嶮《けん》のある、しかし、気の優しい、私より四つ五つ年上で――ただうつくしいというより仇《あだ》っぽい婦人《おんな》だったんです。何しろその体裁ですから、すなおな髪を引詰《ひッつ》めて櫛巻《くしまき》でいましたが、生際が薄青いくらい、襟脚が透通って、日南《ひなた》では消えそうに、おくれ毛ばかり艶々《つやつや》として、涙でしょう、濡れている。悲惨な事には、水ばかり飲むものだから、身籠《みごも》ったようにかえってふくれて、下腹のゆいめなぞは、乳の下を縊《くび》ったようでしたよ。
 空腹《すきはら》にこたえがないと、つよく紐《ひも》をしめますから、男だって。……
 お雪さん――と言いました。その大切な乳をかくす古手拭は、膚《はだ》に合った綺麗好きで、腰のも一所に、ただ洗いただ洗いするんですから、油旱《あぶらでり》の炎熱で、銀粉のようににじむ汗に、ちらちらと紗《しゃ》のように靡《なび》きました。これなら干ぼしになったら、すぐ羽にかわって欄間を飛ぶだろうと思ったほどです。いいえ、天人なぞと、そんな贅沢《ぜいたく》な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。
 その手拭が、娘時分に、踊のお温習《さらい》に配ったのが、古行李《ふるこうり》の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。
 千葉だそうです。千葉の町の大きな料理屋、万翠楼《ばんすいろう》の姉娘が、今の主人の、その頃医学生だったのと間違って。……ただ、それだけではないらしい。学生の癖に、悪く、商売人じみた、はなを引く、賭碁《かけご》を打つ。それじゃ退学にならずにいません。佐原の出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出《にげだ》した。姉娘があとを追って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男が離さない。女も情を立てて帰らないから、両方とも、親から勘当になったんですね、親類義絶――つまるところ。
 一枚、畚褌の上へ引張《ひっぱ》らせると、脊は高し、幅はあり、風采《ふうさい》堂々たるものですから、まやかし病院の代診なぞには持って来いで、あちこち雇われもしたそうですが、脉《みゃく》を引く前に、顔の真中《まんなか》を見るのだから、身が持てないで、その目下の始末で。……
 変に物干ばかり新しい、妻恋坂下へ落ちこぼれたのも、洋服の月賦払《げっぷばらい》の滞《とどこおり》なぞから引《ひっ》かかりの知己《ちかづき》で。――町の、右の、ちゃら金のすすめなり、後見なり、ご新姐の仇《あだ》な処をおとりにして、碁会所を看板に、骨牌賭博《かるたばくち》の小宿《こやど》という、もくろみだったらしいのですが、碁盤の櫓《やぐら》をあげる前に、長屋の城は落ちました。どの道落ちる城ですが、その没落をはやめたのは、慾《よく》にあせって、怪しい企《たくらみ》をしたからなんです。
 質の出入れ――この質では、ご新姐の蹴出し……縮緬《ちりめん》のなぞはもう疾《とっ》くにない、青地のめりんす、と短刀|一口《ひとふり》。数珠一|聯《れん》。千葉を遁げる時からたしなんだ、いざという時の二品《ふたしな》を添えて、何ですか、三題話のようですが、凄《すご》いでしょう。……事実なんです。貞操の徴《しるし》と、女の生命とを預けるんだ。――(何とかじゃ築地へ帰《けえ》られねえ。)――何の事だかわかりませんがね、そういって番頭を威《おど》かせ、と言いつかった通り、私が(一樹、幹次郎、自分をいう。)使《つかい》に行ったんです。冷汗《ひやあせ》を流して、談判の結果が三分、科学的に数理で顕《あらわ》せば、七十と五銭ですよ。
 お雪さんの身になったらどうでしょう。じか肌と、自殺を質に入れたんですから。自殺を質に入れたのでは、死ぬよりもつらいでしょう。――
 ――当時、そういった様子でしてね。質の使、笊《ざる》でお菜漬《はづけ》の買ものだの、……これは酒よりは香《におい》が利きます。――はかり炭、粉米《こごめ》のばら銭買の使いに廻らせる。――わずかの縁に縋《すが》ってころげ込んだ苦学の小僧、(再び、一樹、幹次郎自分をいう。)には、よくは、様子は分らなかったんですが、――ちゃら金の方へ、鴨《かも》がかかった。――そこで、心得のある、ここの主人《あるじ》をはじめ、いつもころがり込んでいる、なかまが二人、一人は検定試験を十年来落第の中老の才子で、近頃はただ一攫千金《いっかくせんきん》の投機を狙《ねら》っています。一人は、今は小使を志願しても間に合わない、慢性の政治狂と、三個《さんにん》を、紳士、旦那、博士に仕立てて、さくら、というものに使って、鴨を剥《はい》いで、骨までたたこうという企謀《たくらみ》です。
 前々から、ちゃら金が、ちょいちょい来ては、昼間の廻燈籠《まわりどうろう》のように、二階だの、濡縁《ぬれえん》だの、薄羽織と、兀頭《はげあたま》をちらちらさして、ひそひそと相談をしていましたっけ。
 当日は、小僧に一包み衣類を背負《しょ》わして――損料です。黒絽《くろろ》の五つ紋に、おなじく鉄無地のべんべらもの、くたぶれた帯などですが、足袋まで身なりが出来ました。そうは資本《もとで》が続かないからと、政治家は、セルの着流しです。そのかわり、この方は山高帽子で――おやおや忘れた――鉄無地の旦那に被《かぶ》せる帽子を。……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。
 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末《そまつ》なもの、と重詰の豆府滓《とうふがら》、……卯《う》の花を煎《い》ったのに、繊《せん》の生姜《しょうが》で小気転を利かせ、酢にした※[#「魚+是」、第4水準2−93−60]鰯《しこいわし》で気前を見せたのを一重。――きらずだ、繋《つな》ぐ、見得《けんとく》がいいぞ、吉左右《きっそう》! とか言って、腹が空《す》いているんですから、五つ紋も、仙台|平《ひら》も、手づかみの、がつがつ喰《ぐい》。……
 で、それ以来――事件の起りました、とりわけ暑い日になりますまで、ほとんど誰も腹に堪《たま》るものは食わなかったのです。――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減。一つ穴のお螻《けら》どもが、反対に鴨にくわれて、でんぐりかえしを打ったんですね。……夜になって、炎天の鼠《ねずみ》のような、目も口も開かない、どろどろで帰って来た、三人のさくらの半間さを、ちゃら金が、いや怒るの怒らないの。……儲けるどころか、対手方《あいてかた》に大分の借《かり》が出来た、さあどうする。……で、損料……立処《たちどころ》に損料を引剥《ひっぱ》ぐ。中にも落第の投機家なぞは、どぶつで汗ッかき、おまけに脚気《かっけ》を煩ってい
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