、あれは爪先《つまさき》で刺々《とげとげ》を軽く圧《おさ》えて、柄《え》を手許《てもと》へ引いて掻《か》く。……不器用でも、これは書生の方がうまかった。令夫人は、駒下駄《こまげた》で圧えても転げるから、褄《つま》をすんなりと、白い足袋はだし、それでも、がさがさと針を揺《ゆす》り、歯を剥《む》いて刎《は》ねるから、憎らしい……と足袋もとって、雪を錬《ね》りものにしたような素足で、裳《もすそ》をしなやかに、毬栗《いがぐり》を挟んでも、ただすんなりとして、露に褄もこぼれなかった。――この趣《おもむき》を写すのに、画工《えかき》さんに同行を願ったのである。これだと、どうも、そのまま浮世絵に任せたがよさそうに思われない事もない。が、そうすると、さもしいようだが、作者の方が飯にならぬ。そッとして置く。
もっとも三十年も以前の思出である。もとより別荘などは影もなくなった。が、狸穴、我善坊の辺だけに、引潮のあとの海松《みる》に似て、樹林は土地の隅々に残っている。餅屋が構図を飲込んで、スケッチブックを懐に納めたから、ざっと用済みの処、そちこち日暮だ。……大和田は程遠し、ちと驕《おご》りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科《さらしな》で。我が一樹も可なり飲《い》ける、二人で四五本傾けた。
時は盂蘭盆《うらぼん》にかかって、下町では草市が立っていよう。もののあわれどころより、雲を掻裂きたいほど蒸暑かったが、何年にも通った事のない、十番でも切ろうかと、曾我ではなけれど気が合って歩行《ある》き出した。坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地《くぼち》で、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下《がけした》から、日《ひ》ヶ窪の辺らしい。一所《ひとところ》、板塀の曲角に、白い蝙蝠《こうもり》が拡《ひろが》ったように、比羅《びら》が一枚|貼《は》ってあった。一樹が立留まって、繁った樫《かし》の陰に、表町の淡い燈《ひ》にすかしながら、その「――干鯛かいらいし――……蛸とくあのくたら――」を言ったのである。
「魚説法《うおせっぽう》、というのです――狂言があるんですね。時間もよし、この横へ入った処らしゅうございますから。」
すぐ角を曲るように、樹の枝も指せば、おぼろげな番組の末に箭《や》の標示がしてあった。古典な能の狂言も、社会に、尖端《せんたん》の簇
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