れかし。
妙子は、有名な独逸《ドイツ》文学者、なにがし大学の教授、文学士酒井俊蔵の愛娘である。
父様《とうさん》は、この家《や》の主人、早瀬主税には、先生で大恩人、且つ御主《おしゅう》に当る。さればこそ、嬢|様《さん》と聞くと斉《ひと》しく、朝から台所で冷酒《ひやざけ》のぐい煽《あお》り、魚屋と茶碗を合わせた、その挙動《ふるまい》魔のごときが、立処《たちどころ》に影を潜めた。
まだそれよりも内証《ないしょ》なのは、引窓を閉めたため、勝手の暗い……その……誰だか。
十一
妙子の手は、矢車の花の色に際立って、温柔《しなやか》な葉の中に、枝をちょいと持替えながら、
「こんなものを持っていますから、こちらから、」
とまごつくお源に気の毒そう。ふっくりと優しく微笑《ほほえ》み、
「お邪魔をしてね。」
「どういたしまして、もう台なしでございまして、」と雑巾を引掴《ひッつか》んで、
「あれ、お召ものが、」
と云う内に、吾妻下駄《あずまげた》が可愛く並んで、白足袋薄く、藤色の裾を捌いて、濃いお納戸《なんど》地に、浅黄と赤で、撫子《なでしこ》と水の繻珍《しゅちん》の帯腰、向
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