しつつ居たのである。夫人も傍《そば》に。
 先生はつかつかと上座に直って、
「謹、酌をしてやれ。早瀬、今のはお前へ餞別だ。」

       五十八

 主税は心も闇《やみ》だったろう、覚束《おぼつか》なげな足取で、階子壇《はしごだん》をみしみしと下りて来て、もっとも、先生と夫人が居らるる、八畳の書斎から、一室《ひとま》越し袋の口を開いたような明《あかり》は射《さ》すが、下は長六畳で、直ぐそこが玄関の、書生の机も暗かった。
 さすがは酒井が注意して――早瀬へ贐《はなむけ》、にする為だった――道学者との談話を漏聞かせまいため、先んじて、今夜はそれとなく余所《よそ》へ出して置いたので。羽織の紐は、結んだかどうか、まだ帰らぬ。
 酔ってはいないが、蹌踉《よろよろ》と、壁へ手をつくばかりにして、壇を下り切ると、主税は真暗《まっくら》な穴へ落ちた思《おもい》がして、がっくりとなって、諸膝《もろひざ》を支《つ》こうとしたが、先生はともかく、そこまで送り出そうとした夫人を、平に、と推着けるように辞退して来たものを、ここで躊躇《ちゅうちょ》している内に、座を立たれては恐多い、と心を引立《ひった》てた腰
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