、身を固めて行《ゆ》く態《ふり》の、その円髷の大《おおき》いのも、かかる折から頼もしい。
煙草屋の店でくるくるぱちぱち、一打《いちダアス》ばかりの眼球《めのたま》の中を、仕切《しきっ》て、我身でお妙を遮るように、主税は真中へ立ったから、余り人目に立つので、こなたから進んで出て、声を掛けるのは憚《はばか》って差控えた。
そうしてお妙が気が付かないで、すらすらと行過ぎたのが、主税は何となく心寂しかった。つい前《さき》の年までは、自分が、ああして附いて出たに。
とリボンが靡《なび》いて、お妙は立停まった。
肩が離れて、大《おおき》な白足袋の色新しく、附木《つけぎ》を売る女房のあわれな灯《ともしび》に近《ちかづ》いたのは円髷で。実直ものの丁寧に、屈《かが》み腰になって手を出したは、志を恵んだらしい。親子が揃って額《ぬか》ずいた時、お妙の手の巾着《きんちゃく》が、羽織の紐の下へ入って、姿は辻の暗がりへ。
書生たちは、ぞろぞろと煙草屋の軒を出て、斉《ひとし》く星を仰いだのである。
二十九
○男金女土《おとこかねおんなつち》大《おおい》に吉《よし》、子五人か九人あり衣食満ち富貴《ふっき》にして――
男金女土こそ大吉よ
衣食みちみち…………
と歌の方も衣食みちみちのあとは、虫蝕《むしくい》と、雨染《あまじ》みと、摺剥《すりむ》けたので分らぬが、上に、業平《なりひら》と小町のようなのが対向《さしむか》いで、前に土器《かわらけ》を控えると、万歳烏帽子《まんざいえぼし》が五人ばかり、ずらりと拝伏した処が描いてある。いかさまにも大吉に相違ない。
主税は、お妙の背後《うしろ》姿を見送って、風が染みるような懐手で、俯向《うつむ》き勝ちに薬師堂の方へ歩行《ある》いて来て、ここに露店の中に、三世相がひっくりかえって、これ見よ、と言わないばかりなのに目が留まって、漫《そぞろ》に手に取って、相性の処を開けたのであった。
その英吉が、金の性《しょう》、お妙が、土性であることは、あらかじめお蔦が美《うつくし》い指の節から、寅卯戌亥《とらういぬい》と繰出したものである。
半吉ででもある事か、大《おおい》に吉《よし》は、主税に取って、一向に芽出度《めでたく》ない。勿論、いかに迷えば、と云って、三世相を気にするような男ではないけれども、自分はとにかく、先生は言うに及ばずながら、奥方はどうかすると、一白九紫を口にされる。同じ相性でも、始《はじめ》わるし、中程宜しからず、末|覚束《おぼつか》なしと云う縁なら、いくらか破談の方に頼みはあるが……衣食満ち満ち富貴……は弱った。
のみならず、子五人か、九人あるべしで、平家の一門、藤原一族、いよいよ天下に蔓《はびこ》らんずる根ざしが見えて容易でない。
すでに過日《いつか》も、現に今日の午後《ひるすぎ》にも、礼之進が推参に及んだ、というきっさきなり、何となく、この縁、纏まりそうで、一方ならず気に懸る。
ああ、先生には言われぬ事、奥方には遠慮をすべき事にしても、今しも原の前で、お妙さんを見懸けた時、声を懸けて呼び留めて、もし河野の話が出たら、私は厭《いや》、とおっしゃいよ、と一言いえば可かったものを。
大道で話をするのが可訝《おかし》ければ、その辺の西洋料理へ、と云っても構わず、鳥居の中には藪蕎麦《やぶそば》もある。さしむかいに云うではなし、円髷も附添った、その女中《おんな》とても、長年の、犬鷹朋輩の間柄、何の遠慮も仔細《しさい》も無かった。
お妙さんがまた、あの目で笑って、お小遣いはあるの? とは冷評《ひやか》しても、どこかへ連れられるのを厭味らしく考えるような間《なか》ではないに、ぬかったことをしたよ。
なぞと取留めもなく思い乱れて、凝《じっ》とその大吉を瞻《みつ》めていると、次第次第に挿画《さしえ》の殿上人に髯《ひげ》が生えて、たちまち尻尾のように足を投げ出したと思うと、横倒れに、小町の膝へ凭《もた》れかかって、でれでれと溶けた顔が、河野英吉に、寸分違わぬ。
「旦那いかがでございます。えへへ、」と、かんてらの灯の蔭から、気味の悪い唐突《だしぬけ》の笑声《わらいごえ》は、当露店の亭主で、目を細うして、額で睨《にら》んで、
「大分御意に召しましたようで、えへへ。」
「幾干《いくら》だい。」
とぎょっとした主税は、空《くう》で値を聞いて見た。
「そうでげすな。」
と古帽子の庇《ひさし》から透かして、撓《た》めつつ、
「二十銭にいたして置きます。」と天窓《あたま》から十倍に吹懸《ふっか》ける。
その時かんてらが煽《あお》る。
主税は思わず三世相を落して、
「高価《たか》い!」
「お品が少うげして、へへへ、当節の九星早合点、陶宮手引草などと云う活版本とは違いますで、」
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