ろしたろう。
 そろそろ引返《ひっかえ》したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは真中の家へですか。へい、さようで、と云うのを聞いて帰ったのさね。」
 と早口に饒舌《しゃべ》って、
「美人だねえ。君、」とゆったり顔を見る。
「ト遣った工合は、僕が美人のようだ、厭だ。結婚なんぞ申込んじゃ、」と笑いながら、大《おおい》に諷するかのごとくに云って、とんと肩を突いて、
「浮気ものめ。」
「浮気じゃない、今度ばかしゃ大真面目だがね、君、どうかなるまいか。」
 また甘えるように、顔を正的《まとも》に差出して、頤《おとがい》を支えた指で、しきりに忙《せわし》く髯を捻《ひね》る。
 早瀬はしばらく黙ったが、思わず拱《こまぬ》いていた腕に解くと、背後《うしろ》ざまに机に肱《ひじ》、片手をしかと膝に支《つ》いて、
「貰うさ。」
「え。」
「お貰いなさい。」
「くれようか。」
「話によっちゃ、くれましょう。」
「後継者《あととり》じゃないんだね。」
「勿論後継者じゃあない。」
「じゃ、まあ、話は出来るとして、」と、澄まして云って、今度は心ありげに早瀬の顔を。
「だが、何だよ、私《あっし》ア」と云った調子が変って、
「媒介人《なこうど》は断るぜ、照陽女学校の教頭じゃないんだから。」

       十八

 そうすると英吉が、かねて心得たりの態度で、媒酌人は勿論、しかるべき人をと云ったのが、其許《そのもと》ごときに勤まるものかと、軽《かろ》んじ賤《いや》しめたように聞えて、
「そりゃ、いざとなりゃ、教育界に名望のある道学者先生の叔父もあるし、また父様《とうさん》の幕下で、現下その筋の顕職にある人物も居るんだから、立派に遣ってくれるんだけれど、その君、媒酌人を立てるまでに、」
 と手を揃えて、火鉢の上へ突出して、じりりと進み、
「先方《さき》の身分も確めねばならず、妙子、(ともう呼棄てにして)の品行の点もあり、まあ、学校は優等としてだね。酒井は飲酒家《さけのみ》だと云うから、遺伝性の懸念もありだ。それは大丈夫としてからが、ああいう美しいのには有りがちだから、肺病の憂《うれい》があってはならず、酒井の親属関係、妙子の交友の如何《いかん》、そこらを一つ委《くわ》しく聞かして貰いたいんだがね。」
 主税は堪《たま》りかねて、ばりばりと烏府《すみとり》の中を突崩した。この暖いのに、河野が両手を翳《かざ》すほど、火鉢の火は消えかかったので、彼は炭を継ごうとして横向になっていたから、背けた顔に稲妻のごとく閃《ひらめ》いた額の筋は見えなかったが、
「もう一度聞こう、何だっけな。先方《さき》の身分?」
「うむ、先方の身分さ。」
「独逸文学者よ、文学士だ……大学教授よ。知ってるだろう、私の先生だ。」
「むむ、そりゃ分ってるがね、妙子の品行の点もあり、」
「それから、」
「遺伝さ、」
「肺病かね、」
「親族関係、交友の如何《いかん》さ。何、友達の事なんぞ、大した条件ではないよ。結婚をすれば、処女時代の交際は自然に疎《うと》くなるです。それに母様が厳しく躾《しつけ》れば、その方は心配はないが、むむ、まだ要点は財産だ。が、酒井は困っていやしないだろうか。誰も知った侠客《きょうかく》風の人間だから、人の世話をすりゃ、つい物費《ものいり》も少くない。それにゃ、評判の飲酒家《さけのみ》だし、遊ぶ方も盛だと云うし、借金はどうだろう。」
 主税は黙って、茶を注《つ》いだが、強いて落着いた容子に見えた。
「何かね、持参金でも望みなのかね。」
「馬鹿を謂《い》いたまえ。妹たちを縁附けるに、こちらから持参はさせるが、僕が結婚するに、いやしくも河野の世子が持参金などを望むものか。
 君、僕の家じゃ、何だ、女の児《こ》が一人生れると、七夜から直ぐに積立金をするよ。それ立派に支度が出来るだろう。結婚してからは、その利息が化粧料、小遣となろうというんだ。自然嫁入先でも幅が利きます。もっともその金を、婿の名に書き替《かえ》るわけじゃないが、河野家においてさ、一人一人の名にして保管してあるんだから、例えば婿が多日《しばらく》月給に離れるような事があっても、たちまち破綻《はたん》を生ずるごとき不面目は無い。
 という円満な家庭になっているんだ。で先方《さき》の財産は望じゃないが、余り困っているようだと、親族の関係から、つい迷惑をする事になっちゃ困る。娘の縁で、一時借用なぞというのは有がちだから。」
「酒井先生は江戸児《えどっこ》だ!」
 と唐突《だしぬけ》に一喝して、
「神田の祭礼《まつり》に叩き売っても、娘の縁で借りるもんかい。河野!」
 と屹《きっ》と見た目の鋭さ。眉を昂《あ》げて、
「髯があったり、本を読んだり、お互の交際は窮屈だ。撲倒《はりたお》すのを野蛮と云うんだ。」
 お蔦は湯から
前へ 次へ
全107ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング