あえて臆面《おくめん》は無い容子《ようす》で、
「昨日《きのう》逢ってから、そうした人じゃないようだ、と頷《うなず》いていた。母様はね、君、目が高いんだ、いわゆる士を知る明ありだよ。」
「じゃ、何か、士を知る明があって、それで、何か、そうした人じゃないようだ、(ようだ[#「ようだ」に傍点]。)とまだ疑があるのか。」
「だってただ一面識だものね、三四|度《たび》交際《つきあ》って見たまえ。ちゃんと分るよ、五度とは言わない。」
「何も母様に交際うには当らんじゃないか。せめて年増ででもあればだが、もう婆さまだ。」
 と横を向いて、微笑《ほほえ》んで、机の上の本を見た。何の書だか酒井蔵書の印が見える。真砂町から借用のものであろう。
 英吉は、火鉢越に覗きながら、その段は見るでもなく、
「年紀《とし》は取ってるけれど、まだ見た処は若いよ。君、婦人会なんぞじゃ、後姿を時々姉と見違えられるさ。
 で、何だ、そうやって人を見る明が有るもんだから、婿の選択は残らず母様に任せてあるんだ。取当てるよ。君、内の姉の婿にした医学士なんざ大当りだ。病院の立派になった事を見たまえな。」
「僕なんざ御選択に預れまいか。」
 と気を、その書物に取られたか、木に竹を接《つ》いだような事を云うと、もっての外|真面目《まじめ》に受けて、
「君か、君は何だ、学位は持っちゃおらんけれど、独逸《ドイツ》のいけるのは僕が知ってるからね。母様の信用さえ得てくれりゃ、何だ。ええ君、妹たちには、もとより評判が可いんだからね、色男、ははは、」
 と他愛なく身体《からだ》中で笑い、
「だって、どうする。階下《した》に居るのを、」
 背後《うしろ》を見返り、
「湯かい。見えなかったようだっけ。」
 主税は堪《こら》えず失笑《ふきだ》したが、向直って話に乗るように、
「まあ、可い加減にして、疾《はや》く一人貰っちゃどうだ。人の事より御自分が。そうすりゃ遊蕩《あそび》も留《や》みます。安保箭五郎悪い事は言わないが、どうだ。」
「むむ、その事だがね。」
 とぐったりしていた胸を起して、また手巾で口を拭いて、なぜか、縞《しま》のズボンを揃えて、ちゃんと畏《かしこ》まって、
「実はその事なんだ。」
「何がその事だ。」
「やっぱりその事だ。」
「いずれその事だろう。」
「ええ、知ってるのか。」
「ちっとも知らない、」
 と煙管《きせる》を取って、
「いや、真面目に真面目に、何か、心当りでも出来たかね。」


     縁談

       十六

 時に河野がその事と言えば、いずれ婦《おんな》に違いないが、早瀬はいつもこの人から、その収紅拾紫《しゅうこうしゅうし》、鶯《うぐいす》を鳴かしたり、蝶を弄《もてあそ》んだりの件について、いや、ああ云ったがこれは何と、こう申したがそれは如何《いかに》。無心をされたがどうしたものか、なるべくは断りたい、断ったら嫌われようか、嫌われては甚だ不好《まず》い。一体|恋《スウィート》でありながら金子《かね》をくれろは変な工合だ、妙だよ。その意志のある処を知るに苦《くるし》む、などと、※[#「そろべくそろ」の合字、59−2]紅をさして、蚯蚓《みみず》までも突附けて、意見? を問われるには恐れている。
 誇るに西洋料理七皿をもってする、式《かた》のごとき若様であるから、冷評《ひやか》せば真に受ける、打棄《うっちゃ》って置けば悄《しょ》げる、はぐらかしても乗出す。勢い可い加減にでも返事をすれば、すなわち期せずして遊蕩《あそび》の顧問になる。尠《すくな》からず悩まされて、自分にお蔦と云う弱点《よわみ》があるだけ、人知れず冷汗が習《ならい》であったから、その事ならもう聞くまい、と手強く念を入れると、今夜はズボンの膝を畏《かしこま》っただけ大真面目。もっとも馴染《なじみ》の相談も串戯《じょうだん》ではないのだけれども。特に更《あらたま》って、ついにない事、もじもじして、
「実はね、母様も云ったんだ、君に相談をして見ろと……」
「縁談だね、真面目な。」
 珍らしそうに顔を見て、
「母様から御声懸りで、僕に相談と云う縁談の口は、当時心当りが無いが。ああ、」
 と軽く膝を叩いた。
「隣家《となり》のかい。むむ、あれは別嬪《べっぴん》だ。ちょいと高慢じゃあるが、そのかわり学校はなかなか出来るそうだ。」
 英吉は小児《こども》のように頭《かぶり》を振って、
「ううむ、違うよ。」
「違う。じゃ誰だい。」
 と落着いて尋ねると、慌てて衣兜《かくし》へ手を突込《つっこ》み、肩を高うして、一ツ揺《ゆす》って、
「真砂町の、」
「真砂町※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 と聞くや否や、鸚鵡返《おうむがえ》しに力が入った。床の間にしっとりと露を被《かつ》いだ矢車の花は、燈《ひ》の明《あかり
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