に、背《せな》より、胸より、ひしと主税を庇《かば》ったので、英臣は、面《おもて》を背けて嘆息し、たちまち狙を外らすや否や、大夫人を射て、倒して、硝薬《しょうやく》の煙とともに、蝕する日の面《おもて》を仰ぎつつ、この傲岸《ごうがん》なる統領は、自からその脳を貫いた。
抱合って、目を見交わして、姉妹《きょうだい》の美人《たおやめ》は、身を倒《さかさま》に崖に投じた。あわれ、蔦に蔓《かずら》に留《とど》まった、道子と菅子が色ある残懐《なごり》は、滅びたる世の海の底に、珊瑚《さんご》の砕けしに異ならず。
折から沖を遥《はるか》に、光なき昼の星よと見えて、天に連《つらな》った一点の白帆は、二人の夫等の乗れる船にして、且つ死骸《なきがら》の俤《おもかげ》に似たのを、妙子に隠して、主税は高く小手を翳《かざ》した。
その夜《よ》、清水港の旅店において、爺《じじい》は山へ柴苅に、と嬢さんを慰めつつ、そのすやすやと寐《ね》たのを見て、お蔦の黒髪を抱《いだ》きながら、早瀬は潔く毒を仰いだのである。
早瀬の遺書は、酒井先生と、河野とに二通あった。
その文学士河野に宛《あ》てたは。――英吉君……島山夫人が、才と色とをもって、君の為に早瀬を擒《とりこ》にしようとしたのは事実である。また我自から、道子が温良優順の質に乗じて、謀《はか》って情を迎えたのも事実である。けれども、そのいずれの操をも傷《きずつ》けぬ。双互にただ黙会したのに過ぎないから、乞う、両位の令妹のために、その淑徳を疑うことなかれ。特に君が母堂の馬丁《ばてい》と不徳の事のごときは、あり触れた野人の風説に過ぎなかった。――事実でないのを確めたに就いて、我が最初の目的の達しられないのに失望したが、幸か、不幸か、浅間の社頭で逢った病者の名が、偶然貞造と云うのに便って、狂言して姉夫人を誘出《おびきだ》し得たのであった。従って、第四の令妹の事はもとより、毒薬の根も葉もないのを、深夜|蛾《ひとりむし》が燈《ともしび》に斃《お》ちたのを見て、思い着いて、我が同類の万太と謀って、渠をして調えしめた毒薬を、我が手に薬の瓶に投じて、直ちに君の家厳に迫った。
不義、毒殺、たとえば父子、夫妻、最親至愛の間においても、その実否《じっぷ》を正すべく、これを口にすべからざる底《てい》の条件をもって、咄嗟《とっさ》に雷《らい》発して、河野家の家庭を襲ったのである。私は掏賊《すり》だ、はじめから敵に対しては、機謀権略、反間苦肉、有《あら》ゆる辣手段《らつしゅだん》を弄して差支えないと信じた。
要はただ、君が家系|門閥《もんばつ》の誇の上に、一部の間隙を生ぜしめて、氏素性、かくのごとき早瀬の前に幾分の譲歩をなさしめん希望に過ぎなかったに、思わざりき、久能山上の事あらんとは。我は偏《ひとえ》に、君の家厳の、左右一顧の余裕のない、一時の激怒を惜《おし》むとともに、清冽一塵の交るを許さぬ、峻厳なるその主義に深大なる敬意を表する。
英吉君、能《あた》うべくは、我意を体して、より美《うつくし》く、より清き、第二の家庭を建設せよ。人生意気を感ぜずや――云々の意を認《したた》めてあった。
門族の栄華の雲に蔽《おお》われて、自家の存在と、学者の独立とを忘れていた英吉は、日蝕の日の、蝕の晴るると共に、嗟嘆《さたん》して主税に聞くべく、その頭脳は明《あきらか》に、その眼《まなこ》は輝いたのである。
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早瀬は潔く云々以下、二十一行抹消。――前篇後篇を通じその意味にて御覧を願う。はじめ新聞に連載の時、この二十一行なし。後単行出版に際し都合により、徒《と》を添えたるもの。或《あるい》はおなじ単行本御所有の方々の、ここにお心つかいもあらんかとて。
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[#地から1字上げ]明治四十(一九〇七)年一〜四月
底本:「泉鏡花集成12」ちくま文庫、筑摩書房
1997(平成9)年1月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十卷」岩波書店
1940(昭和15)年5月15日
初出:「やまと新聞」
1907(明治40)年1〜4月
入力:真先芳秋
校正:かとうかおり
2000年8月17日公開
2009年2月1日修正
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