ず》、作取《つくりど》りのただ儲け、商売《あきない》で儲けるだけは、飲むも可《よ》し、打《ぶ》つも可し、買うも可しだが、何がさてそれで済もうか。儲けを飲んで、資本《もとで》で買って、それから女房の衣服《きもの》で打つ。
それお株がはじまった、と見ると、女房はがちがちがちと在りたけの身上《しんしょう》へ錠をおろして、鍵を昼夜帯へ突込んで、当分商売はさせません、と仕事に出る、
トかますの煙草入に湯銭も無い。おなまめだんぶつ、座敷牢だ、と火鉢の前に縮《すく》まって、下げ煙管《ぎせる》の投首が、ある時悪心増長して、鉄瓶を引外《ひっぱ》ずし、沸立《にた》った湯を流《ながし》へあけて、溝の湯気の消えぬ間に、笊蕎麦《ざるそば》で一杯《いち》を極《き》めた。
その時女房に勘当されたが、やっとよりが戻って以来、金目な物は重箱まで残らず出入先へ預けたから、家には似ない調度の疎末《そまつ》さ。どこを見てもがらんとして、間狭《ませま》な内には結句さっぱりして可《よ》さそうなが、お妙は目を外らす壁張りの絵も無いので、しきりに袂《たもと》を爪繰って、
「可いのよ、小母さん、髪結さんの許《とこ》だから、極りが悪いからそう云って来たけれど、髪なんぞ結《い》わなくったって構わなくってよ。ちっとも私、結いたくはないの、」
と投出したように云って、
「早瀬さんの、あの、主税さんの奥さんに、私、お目にかかれなくって?」
「姉さん、」
ト、障子の内から。
「あい、」と小芳が立構えで、縁へ振向いてそなたを見込むと、
「私、そこへ行っても可《い》いかい?」
小芳が急いで縁づたいで、障子を向うへ押しながら、膝を敷居越に枕許。
枕についた肩細く、半ば掻巻《かいまき》を藻脱けた姿の、空蝉《うつせみ》のあわれな胸を、痩《や》せた手でしっかりと、浴衣に襲《かさ》ねた寝衣《ねまき》の襟の、はだかったのを切なそうに掴《つか》みながら、銀杏返しの鬢《びん》の崩れを、引結《ひきゆわ》えた頭《かしら》重げに、透通るように色の白い、鼻筋の通った顔を、がっくりと肩につけて、吻《ほっ》と今|呼吸《いき》をしたのはお蔦である。
二十二
お蔦は急に起上った身体《からだ》のあがきで、寝床に添った押入の暗い方へ顔の向いたを、こなたへ見返すさえ術《じゅつ》なそうであった。
枕から透く、その細う捩《よ》れた背《せな》へ、小芳が、密《そっ》と手を入れて、上へ抱起すようにして、
「切なくはないかい、お蔦さん、起きられるかい、お前さん、無理をしては不可《いけな》いよ。」
「ああ、難有《ありがと》う、」
とようよう起直って、顱巻《はちまき》を取ると、あわれなほど振りかかる後れ毛を掻上げながら、
「何だか、骨が抜けたようで可笑《おかし》いわ、気障《きざ》だねえ、ぐったりして。」
と蓮葉《はすは》に云って、口惜《くや》しそうに力のない膝を緊《し》め合わせる。
お妙はもう六畳の縁へ立って来て、障子に掴まって覗《のぞ》いていたが、
「寝ていらっしゃいよ、よう、そうしておいでなさいよ。私がそこへ行ってよ。」
とそれまで遠慮したらしかったが、さあとなると、飜然《ひらり》と縁を切って走込むばかりの勢《いきおい》――小芳の方が一目先へ御見の済んだ馴染《なじみ》だけ、この方が便りになったか、薄くお太鼓に結んだ黒繻子のその帯へ、擦着《すりつ》くように坐って、袖のわきから顔だけ出して、はじめて逢ったお蔦の顔を、瞬もしないで凝《じっ》と視《なが》める。
肩を落して、お蔦が蒲団の外へ出ようとするのを、
「よう、そうしていらっしゃいなね。そんなにして、私は困るわ。」
「はじめまして、」
と余り白くて、血の通るのは覚束《おぼつか》ない頸《うなじ》を下げて、手を支《つ》きつつ、
「失礼でございますから、」
「よう、私困るのよ。寝ていて下さらなくっては。小母さん、そう云って下さいな。」
と気を揉んで、我を忘れて、小芳の背中をとんとんと叩いて、取次げ、と急《あせ》って云う。
その優しさが身に浸みたか、お蔦の手をしっかり握った、小芳の指も震えつつ、
「お蔦さん、可いから寝ておいでな、お嬢さんがあんなに云って下さるからさ。」
「いいえ、そんなじゃありません。切なければ直《じ》きに寝ますよ。お嬢さん、難有《ありがと》う存じます。貴嬢《あなた》、よくおいで下さいましたのね。」
「そして、よく家《うち》が知れましたわね。この辺へは、滅多においでなさいましたことはござんせんでしょうにねえ。」
小芳はまた今更感心したように熟々《つくづく》云った。
「はあ、分らなくってね。私、方々で聞いて極《きま》りが悪かったわ。探すのさえ煩《むず》かしいんですもの。何だか、あの、小母さんたちは、ちょいとは、あの、逢って下さらなか
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