なしの一枚|袷《あわせ》という扮装《でたち》のせいで、また着換えていた――この方が、姿も佳《よ》く、よく似合う。ただし媚《なまめか》しさは少なくなって、いくらか気韻が高く見えるが、それだけに品が可い。
セルで足袋を穿《は》いては、軍人の奥方めく、素足では待合から出たようだ、と云って邸《やしき》を出掛《でが》けに着換えたが、膚《はだ》に、緋《ひ》の紋縮緬《もんちりめん》の長襦袢《ながじゅばん》。
二人の児《こ》の母親で、その燃立つようなのは、ともすると同一《おなじ》軍人好みになりたがるが、垢《あか》抜けのした、意気の壮《さかん》な、色の白いのが着ると、汗ばんだ木瓜《ぼけ》の花のように生暖《なまあたたか》なものではなく、雪の下もみじで凜《りん》とする。
部屋で、先刻《さっき》これを着た時も、乳を圧《おさ》えて密《そっ》と袖を潜《くぐ》らすような、男に気を兼ねたものではなかった。露《あらわ》にその長襦袢に水紅《とき》色の紐をぐるぐると巻いた形《なり》で、牡丹の花から抜出たように縁の姿見の前に立って、
(市川菅女。)と莞爾々々《にこにこ》笑って、澄まして袷を掻取《かいと》って、襟を合わせて、ト背向《うしろむ》きに頸《うなじ》を捻《ね》じて、衣紋《えもん》つきを映した時、早瀬が縁のその棚から、ブラッシを取って、ごしごし痒《かゆ》そうに天窓《あたま》を引掻《ひっか》いていたのを見ると、
「そんな邪険な撫着《なでつ》けようがあるもんですか、私が分けて上げますからお待ちなさい。」
と云うのを、聞かない振でさっさと引込《ひっこ》もうとしたので、
「あれ、お待ちなさい」と、下〆《したじめ》をしたばかりで、衝《つ》と寄って、ブラッシを引奪《ひったく》ると、窓掛をさらさらと引いて、端近で、綺麗に分けてやって、前へ廻って覗《のぞ》き込むように瞳をためて顔を見た。
胸の血汐《ちしお》の通うのが、波打って、風に戦《そよ》いで見ゆるばかり、撓《たわ》まぬ膚《はだえ》の未開紅、この意気なれば二十六でも、紅《くれない》の色は褪《あ》せぬ。
境内の桜の樹蔭《こかげ》に、静々、夫人の裳《もすそ》が留まると、早瀬が傍《かたわら》から向うを見て、
「茶店があります、一休みして参りましょう。」
「あすこへですか。」
「お誂《あつら》え通り、皺《しわ》くちゃな赤毛布《あかげっと》が敷いてあって、水々し
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