りその端くれを、致しますのでございますよ。」
さては理学士か何ぞである。
貴婦人はこう云った時、やや得意気に見えた。
「さぞおもしろい、お話しがございましたでしょうね。」
雪踏《せった》をずらす音がして、柔《やわら》かな肱《ひじ》を、唐草の浮模様ある、卓子《テイブル》の蔽《おおい》に曲げて、身を入れて聞かれたので、青年はなぜか、困った顔をして、
「どう仕《つかまつ》りまして、そうおっしゃられては恐縮しましたな、僕のは、でたらめの理学者ですよ。ええ、」
とちょいと天窓《あたま》を掻《か》いて、
「林檎を食べた処から、先祖のニュウトン先生を思い出して、そこで理学者と遣《や》ったんです。はは、はは、実際はその何だかちっとも分りません。」
「まあ。お人の悪い。貴郎《あなた》は、」
と莞爾《にっこり》した流眄《ながしめ》の媚《なまめ》かしさ。熟《じっ》と見られて、青年は目を外らしたが、今は仕切の外に控えた、ボオイと硝子《がらす》越に顔の合ったのを、手招きして、
「珈琲《コオヒイ》を。」
「ああ、こちらへも。」
と貴婦人も註文しながら、
「ですが、大層お話が持てましたじゃありませんか。彼地《あちら》の文学のお話ででもございましたんですか。」
「どういたしまして、」
と青年はいよいよ弱って、
「人を見て法を説けは、外国人も心得ているんでしょう。僕の柄じゃ、そんな貴女《あなた》、高尚な話を仕かけッこはありませんが、妙なことを云っていましたよ。はあ、来年の事を云っていました。西洋じゃ、別に鬼も笑わないと見えましてね。」
「来年の、どんな事でございます。」
「何ですって、今年は一度国へ帰って来年出直して来る、と申すことです。(日蝕《にっしょく》があるからそれを見にまた出懸ける、東洋じゃほとんど皆既蝕《かいきしょく》だ。)と云いましたが、まだ日本には、その風説《うわさ》がないようでございますね。
有っても一向|心懸《こころがけ》のございません僕なんざ、年の暮に、太神宮から暦の廻りますまでは、つい気がつかないでしまいます。もっとも東洋とだけで、支那《しな》だか、朝鮮だか、それとも、北海道か、九州か、どこで観ようと云うのだか、それを聞き懸《かけ》た処へ、貴女が食堂へ入っておいでなさいましたもんですから、(や、これは日蝕どころじゃない。)と云いましたよ。」
「じゃ、あとは、私を
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