父様は、自分の門生だから、十に八九は秘《かく》すですもの。何で真相が解りますか。」
 コツコツ廊下から剥啄《ノック》をした者がある。と、教頭は、ぎろりと目金を光らしたが、反身《そりみ》に伸びて、
「カム、イン、」と猶予《ためら》わずに答えた。
 この剥啄と、カム、インは、余りに呼吸が合過ぎて、あたかもかねて言合せてあったもののようである。
 すなわち扉《ドア》を細目に、先ず七分立《しちぶだち》の写真のごとく、顔から半身を突入れて中を覗いたのは河野英吉。白地に星模様の竪《たて》ネクタイ、金剛石《ダイアモンド》の針留《ピンどめ》の光っただけでも、天窓《あたま》から爪先《つまさき》まで、その日の扮装《いでたち》想うべしで、髪から油が溶《とろ》けそう。
 早や得《え》も言われぬ悦喜の面で、
「やあ、」と声を懸けると、入違いに、後をドーン。
 扉の響きは、ぶるぶると、お妙の細い靴の尖に伝わって、揺らめく胸に、地図の大西洋の波が煽《あお》る。

       四十九

「失敬、失敬。」
 とちと持上げて、浮かせ気味に物|馴《な》れた風で、河野は教頭と握手に及んで、
「やあ、失敬、」と云いながら、お妙の背後《うしろ》から、横顔をじろりと見る。
 河野の調子の発奮《はず》んだほど、教頭は冷やかな位に落着いた態度で、
「どこの帰りか。」
「大学(と力を入れて、)の図書館に検《しら》べものをして、それから精養軒で午飯《ひるめし》を食うて来た。これからまたH博士の許《とこ》へ行かねばならん。」
 と忙《せわ》しそうに肩を掉《ふ》って、
「君(とわざと低声《こごえ》で呼んで、)この方は……」
「生徒――」と見下げたように云う。
「はあ、」
「ミス酒井と云う、」と横を向いて忍び笑を遣る。
「うむ、真砂町の酒井氏の、」
 と首を伸ばして、分ったような、分らぬような、見知越《みしりごし》のような、で、ないような、その辺あやふやなお妙の顔の見方をしたが、
「君、紹介してくれたまえ。」
「学校で、紹介は可訝《おかし》かろう。」
「だってもう教場じゃないじゃないか。」
「それでは、」と真《まこと》に余儀なさそうに、さて、厳格に、
「酒井さん、過般《いつか》も参観に見えられた、これは文学士河野英吉君。」
 同じ文字を露《あらわ》した大形の名刺の芬《ぷん》と薫るのを、疾《と》く用意をしていたらしい、ひょい
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