からですか。」
「知りません。」
と素気《そっけ》なく云った。
「知らない?」
と妙な顔をして、額でお妙を見上げて、
「知らないですか。」
「ええ、前《ぜん》にからですもの。内の人と同一《おんなじ》ですから、いつ頃からだか分りませんの。」
「貴娘は幾歳《いくつ》ぐらいから、交際をしたですか。」
「…………」
と黙って教頭を見て、しかも不思議そうに、
「交際って、私、厭《いや》ねえ。早瀬さんは内の人なんですもの。」と打微笑む。
「内の人。」
「ええ、」と猶予《ためら》わず頷《うなず》いた。
「貴娘、そういう事を言っては不可《いけ》ますまい。あれを(内の人)だなんと云うと、御両親をはじめ、貴娘の名誉に関わるでしょうが、ああ、」
と口を開いてニヤリとする。
お妙はツンとして横を向いた、眦《まなじり》に優《やさし》い怒が籠ったのである。
閑耕は、その背けた顔を覗込《のぞきこ》むようにして、胸を曲げ、膝を叩きながら、鼻の尖に、へへん、と笑って、
「あんな者と、貴娘交際するなんて、芸者を細君にしていると云うじゃありませんか。汚わしい。怪しからん不行跡です。実に学者の体面を汚すものです。そういう者の許《とこ》へ貴娘出入りをしてはなりません。知らない事はないのでしょう。」
妙子は何にも言わなかったが、はじめて眩《まぶ》しそうに瞬きした。
小使が来て、低頭して命を聞くと、教頭は頤《あご》で教えて、
「何を、茶をくれい。」
「へい。」
「そこを閉めて行け、寄宿生が覗くようだ。」
四十八
扉《と》が閉ると、教頭|身構《みがまえ》を崩して、仰向けに笑い懸けて、
「まあ、お掛なさい、そこへ。貴娘《あなた》のためにならんから、云うのだよ。」
わざわざ立って突着けた、椅子の縁《へり》は、袂《たもと》に触れて、その片袖を動かしたけれども、お妙は規則正しいお答礼《じぎ》をしただけで、元の横向きに立っている。
「早瀬の事はまだまだ、それどころじゃないですが、」と直ぐにまた眉を顰《ひそ》めて、談じつけるような調子に変って、
「酒井さん、早瀬は、ありゃ罪人だね、我々はその名を口にするさえ憚《はばか》るべき悪漢ですね。」
とのッそり手を伸ばして、卓子《テイブル》の上に散ばった新聞を撫でながら、
「貴娘、今日のA……新聞を見んのですか。」
一言聞くと、颯《さっ》と瞼
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