のけざま》に寝て、両肱《りょうひじ》を空に、後脳を引掴《ひッつか》むようにして椅子にかかっていたのは、数学の先生で。看護婦のような服装で、ちょうど声高に笑った婦《おんな》は、言わずとも、体操の師匠である。
 行きがかりに目についた、お妙は直ぐに俯目《ふしめ》になって、コトコト跫音《あしおと》が早くなった。階子段《はしごだん》の裏を抜けると、次の次の、応接室の扉《ドア》は、半開きになって、ペンキ塗の硝子戸入《がらすどいり》の、大書棚の前に、卓子《テイブル》に向って二三種新聞は見えたが、それではなしに、背文字の金の燦爛《さんらん》たる、新《あたらし》い洋書《ブック》の中ほどを開けて読む、天窓《あたま》の、てらてら光るのは、当女学校の教頭、倫理と英文学受持…の学士、宮畑閑耕。同じ文学士河野英吉の親友で、待合では世話になり、学校では世話をする(蝦茶《えびちゃ》と緋縮緬《ひぢりめん》の交換だ。)と主税が憤った一人である。
 この編の記者は、教頭氏、君に因って、男性を形容するに、留南奇《とめき》の薫|馥郁《ふくいく》としてと云う、創作的|文字《もんじ》をここに挟《さしはさ》み得ることを感謝しよう。勿論、その香《におい》の、二十世紀であるのは言うまでもない。
 お妙は、扉《ドア》に半身を隠して留まる。小使はそのまま向うへ行過ぎる。
 閑耕は、キラリ目金《めがね》を向けて、じろりと見ると、目を細うして、髯《ひげ》の尖《さき》をピンと立てた、頤《あご》が円い。
「こちらへ、」
 と鷹揚《おうよう》に云って、再び済まして書見に及ぶ。
 お妙は扉に附着《くッつ》いたなりで、入口を左へ立って、本の包みを抱いたまま、しとやかに会釈をしたが、あえてそれよりは進まなかった。
「こちらへ。」と無造作なように、今度は書見のまま声をかけたが、落着かれず、またひょいと目を上げると、その発奮《はずみ》で目金が躍る。
 頬桁《ほおげた》へ両手をぴったり、慌てて目金の柄を、鼻筋へ揉込《もみこ》むと、睫毛《まつげ》を圧《おさ》え込んで、驚いて、指の尖を潜《くぐ》らして、瞼《まぶた》を擦《こす》って、
「は、は、は、」と無意味な笑方をしたが、向直って真面目な顔で、
「どうですな。」

       四十七

 もう傍《そば》へ来そうなものと、閑耕教頭が再び、じろりと見ると、お妙は身動きもしないで、熟《じっ》と立っ
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