た》は、貴女は御心配下さいませんように……先生、」
 と更《あらた》めて、両手を支《つ》いて、息を切って、
「申訳がございません。とんだ連累《まきぞえ》でお在んなさいます。どうぞ、姉さんには、そんな事をおっしゃいません様に、私《わたくし》を御存分になさいまして。」
「存分にすれば蹴殺すばかりよ。」
 と吐出すように云って、はじめて、豊かに煙を吸った。
「じゃ恐入ったんだな。
 内に蔦吉が居るんだな。
 もう陳じないな。」
「心得違いをいたしまして……何とも申しようがございません。」
 と吻《ほっ》と息を吐《つ》いたと思うと、声が霑《うる》む。
 最早罪に伏したので、今までは執成《とりな》すことも出来なかった小芳が、ここぞ、と見計《みはから》って、初心にも、袂《たもと》の先を爪《つま》さぐりながら、
「大目に見てお上《あげ》なすって下さいまし。蔦吉さんも仇《あだ》な気じゃありません。決《け》して早瀬さんのお世帯の不為《ふため》になるような事はしませんですよ。一生懸命だったんですから。あんな派手な妓《こ》が落籍祝《ひきいわい》どころじゃありません、貴郎《あなた》、着換《きがえ》も無くしてまで、借金の方をつけて、夜遁《よに》げをするようにして落籍《ひい》たんですもの。
 堅気に世帯が持てさえすれば、その内には、世間でも、商売したのは忘れましょうから、早瀬さんの御身分に障るようなこともござんすまい。もうこの節じゃ、洗濯ものも出来るし、単衣《ひとえもの》ぐらい縫えますって、この間も夜|晩《おそ》く私に逢いに来たんですがね。」
 と婀娜《あだ》な涙声になって、
「羽織が無いから日中は出られない、と拗《す》ねたように云うのがねえ、どんなに嬉しそうだったでしょう。それに土地《ところ》馴れないのに、臆病《おくびょう》な妓ですから、早瀬さんがこうやって留守にしていなさいます、今頃は、どんなに心細がって、戸に附着《くッつ》いて、土間に立って、帰りを待っているか知れません、私あそれを思うと……」
 と空色の、瞼《まぶた》を染めて、浅く圧《おさ》えた襦袢《じゅばん》の袖口。月に露添う顔を見て、主税もはらはらと落涙する。
「世迷言《よまいごと》を言うなよ。」
 と膠《にべ》もなく、虞氏《ぐし》が涙《なんだ》を斥《しりぞ》けて、
「早瀬どうだ、分れるか。」
「行処《ゆきどこ》もございません、仕様
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