、先生が、そう思ったら何とするよ。」
「誰が、先生、そんな事。」
「いいや、内の玄関の書生も云った、坂田が己の許《とこ》へ来たと云うと、お前の目の色が違うそうだ。車夫も云った、車夫の女房も云ったよ。(誰か妙の事を聞きに来たものはないか。)と云って、お前、車屋でまで聞くんだそうだな。恥しくは思わんか、大きな態《なり》をしやあがって、薄髯《うすひげ》の生えた面《つら》を、どこまで曝《さら》して歩行《ある》いているんだ。」
と火鉢をぐいぐいと揺《ゆすぶ》って。
四十一
「あっちへ蹌々《ひょろひょろ》、こっちへ踉々《よろよろ》、狐の憑《つ》いたように、俺の近所を、葛西《かさい》街道にして、肥料桶《こえたご》の臭《におい》をさせるのはどこの奴だ。
何か、聞きゃ、河野の方で、妙の身体《からだ》に探捜《さぐり》を入れるのが、不都合だとか、不意気《ぶいき》だとか言うそうだが、」
噫《ああ》、礼之進が皆|饒舌《しゃべ》った……
「意気も不意気も土百姓の知った事かい。これ、河野はお前のような狐憑じゃないのだぜ。
学位のある、立派な男が、大切な嫁を娶《と》るのだ。念を入れんでどうするものか。検《しら》べるのは当前《あたりまえ》だ。芸者を媽々《かかあ》にするんじゃない。
また己《おれ》の方じゃ、探捜を入れて貰いたいのよ。さあ、どこでも非難をして見ろ、と裸体《はだか》で見せて差支えの無いように、己と、謹とで育てたんだ。
何が可恐《おそろし》い? 何が不平だ? 何が苦しい? 己は、渠等《かれら》の検べるのより、お前がそこらをまごつく方がどのくらい迷惑か知れんのだ。
よしんば、奴等に、身元検べをされるのが迷惑とする、癪《しゃく》に障るとなりゃ、己がちゃんと心得てる。この指一本、妙の身体《からだ》を秘《かく》した日にゃ、按摩《あんま》の勢揃ほど道学者輩が杖《つえ》を突張って押寄せて、垣覗《かきのぞ》きを遣ったって、黒子《ほくろ》一点《ひとつ》も見せやしない、誰だと思う、おい、己だ。」
とまた屹《きっ》と見て、
「なぜ、泰然と落着払って、いや、それはお芽出度い、と云って、頼まれた時、紹介をせん。癪に障る、野暮だ、と云う道学者に、ぐッと首根ッ子を圧《おさ》えられて、(早瀬氏はこれがために、ちと手負|猪《じし》でごわりましてな。)なんて、歯をすすらせるんだ。
馬鹿野郎
前へ
次へ
全214ページ中70ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング