博多の帯腰すっきりと、片手を懐に、裄短《ゆきみじか》な袖を投げた風采は、丈高く痩《や》せぎすな肌に粋《いなせ》である。しかも上品に衣紋《えもん》正しく、黒八丈《くろはち》の襟を合わせて、色の浅黒い、鼻筋の通った、目に恐ろしく威のある、品のある、[#「、」は底本では「。」]眉の秀でた、ただその口許《くちもと》はお妙に肖《に》て、嬰児《みどりご》も懐《なつ》くべく無量の愛の含まるる。
 一寸見《ちょっとみ》には、かの令嬢にして、その父ぞとは思われぬ。令夫人《おくがた》は許嫁《いいなずけ》で、お妙は先生がいまだ金鈕《きんぼたん》であった頃の若木の花。夫婦《ふたり》の色香を分けたのである、とも云うが……
 酒井はどこか小酌の帰途《かえり》と覚しく、玉樹一人縁日の四辺《あたり》を払って彳《たたず》んだ。またいつか、人足もややこの辺《あたり》に疎《まばら》になって、薬師の御堂の境内のみ、その中空も汗するばかり、油煙が低く、露店《ほしみせ》の大傘《おおがらかさ》を圧している。
 会釈をしてわずかに擡《もた》げた、主税の顔を、その威のある目で屹《きっ》と見て、
「少《わか》いものが何だ、端銭《はした》をかれこれ人中で云っている奴があるかい、見っともない。」
 と言い棄てて、直ぐに歩を移して、少し肩の昂《あが》ったのも、霜に堪え、雪を忍んだ、梅の樹振は潔い。
 呆気《あっけ》に取られた顔をして、亭主が、ずッと乗出しながら、
「へい。」
 とばかり怯《おび》えるように差出した三世相を、ものをも言わず引掴《ひッつか》んで、追縋《おいすが》って跡に附くと、早や五六間|前途《むこう》へ離れた。
「どうも恐入ります。ええ、何、別に入用《いりよう》なのじゃないのでございますから、はい、」
 と最初の一喝に怯気々々《びくびく》もので、申訳らしく独言《ひとりごと》のように言う。
 酒井は、すらりと懐手のまま、斜めに見返って、
「用《い》らないものを、何だって価を聞くんだ。素見《ひやか》すのかい、お前は、」
「…………」
「素見すのかよ。」
「ええ、別に、」と俯向《うつむ》いて怨めしそうに、三世相を揉み、且つ捻《ひね》くる。
 少時《しばらく》して、酒井はふと歩《あゆみ》を停めて、
「早瀬。」
「はい、」
 とこの返事は嬉しそうに聞えたのである。

       三十一

 名を呼ばれるさえ嬉しいほど
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