れ土手へ、萎々《なえなえ》となって腰を支《つ》いた。前刻の婦《おんな》は、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時も経《た》たぬと見えて、人の来て汲《く》むものも、菜を洗うものもなかったのである。
ほかほかとおなじ日向《ひなた》に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を嬲《なぶ》ったのが羨《うらやま》しい……赤蜻蛉が笑っている。
「見せようか。」
仰向《あおむ》けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄《やけ》に言った。
「いや、……自分で拝もう。」
時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋《やれなや》の石臼も眼《まなこ》が窪み口が欠けて髑髏《しゃりこうべ》のように見え、曼珠沙華《まんじゅしゃげ》も鬼火に燃えて、四辺《あたり》が真暗《まっくら》になったのは、眩《めくるめ》く心地がしたからである。――いかに、いかに、写真が歴々《ありあり》と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児《あかんぼ》が、美女の袖を消えて、拭《ぬぐ》って除《と》ったように、なくなっていたのであるから。
樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に
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