う》……此経難持《しきょうなんじ》、若暫持《にゃくざんじ》、我即歓喜《がそくかんぎ》……一切天人皆応供養《いっさいてんにんかいおうくよう》。――」
 チーン。
「ありがとう存じます。」
「はいはい。」
「御苦労様でございました。」
「はい。」
 と、袖《そで》に取った輪鉦形《りんなり》に肱《ひじ》をあげて、打傾きざまに、墓参の男を熟《じっ》と視《み》て、
「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」
「お上人様。」
 裾《すそ》冷く、鼻じろんだ顔を上げて、
「――母の父母《ふたおや》、兄などが、こちらにお世話になっております。」
「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、
「これは樹島の御子息かい。――それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」
「御僧様《あなたさま》こそ。」
「いや、もう年を取りました。知人《しりびと》は皆二代、また孫の代《よ》じゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」
「お恥かしゅう存じます。」
「久しぶりじゃ、ちと庫裡《あれ》へ。――渋茶なと進ぜよう。」
「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣《おまいり》をしたい処もございますから。」
「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳《ひ》かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人《まやぶにん》の御寺へかの。」
 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体《からだ》は、春秋《はるあき》の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。
「それはそれは。」
 と頷《うなず》いて、
「また、今のほどは、御丁寧に――早速御仏前へお料具を申そう。――御子息、それならば、お静《しずか》に。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままで宜《よろ》しい。あとで寺男《おとこ》が直しますでの。石段が欠けて草|蓬々《ぼうぼう》じゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」
 この卵塔は窪地である。
 石を四五壇、せまり伏す枯尾花に鼠《ねずみ》の法衣《ころも》の隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗《てんぐ》の枕のように見える。蝋燭《ろうそく》を啄《ついば》もうとして、人の立去るのを待つのである。
 衝《つ》と銜《くわ》えると、大概は山へ飛ぶから間違《まちがい》はないのだが、怪我《けが》に屋根へ落すと、草葺《くさぶき》が多いから過失《あやまち》をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡《うす》く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪《たま》らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏《こがらす》らしい。
「……お食《あが》り。」
 それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套《がいとう》に、洋傘《こうもり》を抱いて、ぬいだ中折帽《なかおれ》を持添えたまま葎《むぐら》の中を出たのであった。
 赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、径《こみち》を縫う右左、町家《まちや》が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可《い》い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見《ほくしんみょうけん》の宮、摩利支天の御堂《みどう》、弁財天の祠《ほこら》には名木の紅梅の枝垂《しだ》れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天《びしゃもんてん》。虫歯封じに箸《はし》を供うる辻の坂の地蔵菩薩《じぞうぼさつ》。時雨の如意輪観世音。笠守《かさもり》の神。日中《ひなか》も梟《ふくろう》が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――
 清水の真空《まそら》の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀《よ》じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎《いしずえ》のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称《とな》うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児《こども》たちは嬉しがったものである。――もっとも十《とお》ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用《いりよう》だった。――それだけに思出がなお深い。
 いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋《おおわらじ》を船にして、寺々の巷《ちまた》を漕《こ》ぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、攀《よ》じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡《すいじゃく》に面して身がしまる。
 旅のつかれも、ともに、吻《ほっ》と一息したのが、いま清水に向った大根畑の縁《へり》であった。
 ……
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