て鹿《しか》の鳴き声を聞いた処《ところ》……
……と思うと、ふとここで泊まりたくなった。停車場《ステエション》を、もう汽車が出ようとする間際《まぎわ》だったと言うのである。
この、筆者の友、境賛吉《さかいさんきち》は、実は蔦《つた》かずら木曾《きそ》の桟橋《かけはし》、寝覚《ねざめ》の床《とこ》などを見物のつもりで、上松《あげまつ》までの切符を持っていた。霜月の半ばであった。
「……しかも、その(蕎麦二|膳《ぜん》)には不思議な縁がありましたよ……」
と、境が話した。
昨夜は松本で一泊した。御存じの通り、この線の汽車は塩尻《しおじり》から分岐点《のりかえ》で、東京から上松へ行くものが松本で泊まったのは妙である。もっとも、松本へ用があって立ち寄ったのだと言えば、それまででざっと済む。が、それだと、しめくくりが緩《ゆる》んでちと辻褄《つじつま》が合わない。何も穿鑿《せんさく》をするのではないけれど、実は日数の少ないのに、汽車の遊びを貪《むさぼ》った旅行《たび》で、行途《ゆき》は上野から高崎、妙義山を見つつ、横川、熊《くま》の平《たいら》、浅間を眺め、軽井沢、追分をすぎ、篠《しの》の
前へ
次へ
全66ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング