すよ。」
「旦那様、帳場でも、あの、そう申しておりますの。鶫は焼いてめしあがるのが一番おいしいんでございますって。」
「お膳にもつけて差し上げましたが、これを頭から、その脳味噌《のうみそ》をするりとな、ひと噛《かじ》りにめしあがりますのが、おいしいんでございまして、ええとんだ田舎流儀ではございますがな。」
「お料理番さん……私は決して、料理をとやこう言うたのではないのですよ。……弱ったな、どうも。実はね、あるその宴会の席で、その席に居た芸妓《げいしゃ》が、木曾の鶫の話をしたんです――大分酒が乱れて来て、何とか節というのが、あっちこっちではじまると、木曾節というのがこの時|顕《あら》われて、――きいても可懐《なつか》しい土地だから、うろ覚えに覚えているが、(木曾へ木曾へと積み出す米は)何とかっていうのでね……」
「さようで。」
 と真四角に猪口《ちょく》をおくと、二つ提《さ》げの煙草《たばこ》入れから、吸いかけた煙管《きせる》を、金《かね》の火鉢《ひばち》だ、遠慮なくコッツンと敲《たた》いて、
「……(伊那《いな》や高遠《たかと》の余り米)……と言うでございます、米、この女中の名でございます、お米《よね》。」
「あら、何だよ、伊作《いさく》さん。」
 と女中が横にらみに笑って睨《にら》んで、
「旦那さん、――この人は、家《うち》が伊那だもんでございますから。」
「はあ、勝頼《かつより》様と同国ですな。」
「まあ、勝頼様は、こんな男ぶりじゃありませんが。」
「当り前よ。」
 とむッつりした料理番は、苦笑いもせず、またコッツンと煙管を払《はた》く。
「それだもんですから、伊那の贔屓《ひいき》をしますの――木曾で唄《うた》うのは違いますが。――(伊那や高遠へ積み出す米は、みんな木曾路《きそじ》の余り米)――と言いますの。」
「さあ……それはどっちにしろ……その木曾へ、木曾へのきっかけに出た話なんですから、私たちも酔ってはいるし、それがあとの贄川《にえがわ》だか、峠を越した先の藪原《やぶはら》、福島、上松《あげまつ》のあたりだか、よくは訊《き》かなかったけれども、その芸妓《げいしゃ》が、客と一所に、鶫あみを掛けに木曾へ行ったという話をしたんです。……まだ夜《よ》の暗いうちに山道をずんずん上って、案内者の指揮《さしず》の場所で、かすみを張って囮《おとり》を揚げると、夜明け前、霧
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