、生命《いのち》が縮まるように思っただ。すると案じるより産《うむ》が安いで、長い間こうやって一所に居るが、お前様の断念《あきらめ》の可いには魂消《たまげ》たね。思いなしか、気のせいか、段々|窶《やつ》れるようには見えるけんど、ついぞ膝も崩した事なし、整然《ちゃん》として威勢がよくって、吾、はあ、ひとりでに天窓《あたま》が下るだ、はてここいらは、田舎も田舎だ。どこに居た処で何の楽《たのしみ》もねえ老夫《じじい》でせえ、つまらねえこったと思って、気が滅入《めい》るに、お前様は、えらい女《ひと》だ。面壁イ九年とやら、悟ったものだと我《が》あ折っていたんだがさ、薬袋《やくたい》もないことが湧《わ》いて来て、お前様ついぞ見たこともねえ泣かっしゃるね。御心中のウ察しねえでもねえけんどが、旦那様にゃあ、代えられましねえ。はて、お前様のようでもねえ。断念《あきら》めてしまわっしゃい。どのみちこう謂い出したからにゃいくら泣いたってそりゃ駄目さ。」
しかり親仁《おやじ》のいいたるごとく、お通は今に一年間、幽閉されたるこの孤屋《ひとつや》に処して、涙に、口に、はた容儀、心中のその痛苦を語りしこと絶えてあらず。修容正粛ほとんど端倪《たんげい》すべからざるものありしなり。されど一たび大磐石の根の覆るや、小石の転ぶがごときものにあらず。三昼夜麻畑の中に蟄伏《ちっぷく》して、一たびその身に会せんため、一|粒《りゅう》の飯《いい》をだに口にせで、かえりて湿虫の餌《えば》となれる、意中の人の窮苦には、泰山といえども動かで止《や》むべき、お通は転倒《てんどう》したるなり。
「そんなに解っているのなら、ちょっとの間、大眼《おおめ》に見ておくれ。」
と前後も忘れて身をあせるを、伝内いささかも手を弛《ゆる》めず、
「はて、肯分《ききわけ》のねえ、どういうものだね。」
お通は涙にむせいりながら、
「ええ、肯分がなくッても可いよ、お放し、放しなってば、放しなよう。」
「是非とも肯かなけりゃ、うぬ、ふン縛って、動かさねえぞ。」
と伝内は一呵《いっか》せり。
宜《うべ》しこそ、近藤は、執着《しゅうじゃく》の極、婦人《おんな》をして我に節操を尽さしめんか、終生|空閨《くうけい》を護らしめ、おのれ一分時もその傍《そば》にあらずして、なおよく節操を保たしむるにあらざるよりは、我に貞なりとはいうことを得ずとなし、はじめよりお通の我を嫌うこと、蛇蝎《だかつ》もただならざるを知りながら、あたかも渠《かれ》に魅入《みいり》たらんごとく、進退|隙《すき》なく附絡《つきまと》いて、遂にお通と謙三郎とが既に成立せる恋を破りて、おのれ犠牲《いけにえ》を得たりしにもかかわらず、従兄妹《いとこ》同士が恋愛のいかに強きかを知れるより、嫉妬《しっと》のあまり、奸淫《かんいん》の念を節し、当初婚姻の夜《よ》よりして、衾《ふすま》をともにせざるのみならず、一たびも来りてその妻を見しことあらざる、孤屋《ひとつや》に幽閉の番人として、この老夫《おやじ》をば択《えら》びたれ。お通は止《や》むなく死力を出して、瞬時伝内とすまいしが、風にも堪えざるかよわき婦人《おんな》の、憂《うき》にやせたる身をもって、いかで健腕に敵し得べき。
手もなく奥に引立てられて、そのままそこに押据えられつ。
たといいかなる手段にても到底この老夫《おやじ》をして我に忠ならしむることのあたわざるをお通は断じつ。激昂《げっこう》の反動は太《いた》く渠をして落胆せしめて、お通は張《はり》もなく崩折《くずお》れつつ、といきをつきて、悲しげに、
「老夫《じい》や、世話を焼かすねえ。堪忍しておくれ、よう、老夫や。」
と身を持余せるかのごとく、肱《ひじ》を枕に寝僵《ねたお》れたる、身体《からだ》は綿とぞ思われける。
伝内はこの一言《ひとこと》を聞くと斉《ひと》しく、窪める両眼に涙を浮べ、一座|退《すさ》りて手をこまぬき、拳《こぶし》を握りてものいわず。鐘声遠く夜は更けたり。万籟《ばんらい》天地声なき時、門《かど》の戸を幽《かすか》に叩きて、
「通ちゃん、通ちゃん。」
と二声呼ぶ。
お通はその声を聞くや否や、弾械《はじき》のごとく飛起きて、屹《きっ》と片膝を立てたりしが、伝内の眼に遮られて、答うることを得《え》せざりき。
戸外《おもて》にては言《ことば》途絶《た》え、内を窺《うかが》う気勢《けはい》なりしが、
「通ちゃん、これだけにしても、逢わせないから、所詮あかないとあきらめるが……」
呼吸《いき》も絶《たゆ》げに途絶え途絶え、隙間を洩《も》れて聞ゆるにぞ、お通は居坐《いずまい》直整《ととの》えて、畳に両手を支《つか》えつつ、行儀正しく聞きいたる、背《せな》打ふるえ、髪ゆらぎぬ。
「実はね、叔母さんが、謂うから、仕方がないように、い
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