物がありましてな、一頃《ひところ》はえらい騒ぎでございましたよ。浜方で拾った。それが――困りましたな――これもお話の中《うち》にありましたが、大《おおき》な青竹の三尺余のずんどです。
 一体こうした僻地《へきち》で、これが源氏の畠《はたけ》でなければ、さしずめ平家の落人《おちゅうど》が隠れようという処なんで、毎度|怪《あやし》い事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。……お待ち下さい……この浦一円は鰯《いわし》の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを曳《ひ》きます、大漁となると、大袈裟《おおげさ》ではありません、海岸三里四里の間、ずッと静浦《しずうら》の町中《まちなか》まで、浜一面に鰯を乾《ほ》します。畝《あぜ》も畑もあったものじゃありません、廂下《ひさしした》から土間の竈《かまど》まわりまで、鰯を詰込んで、どうかすると、この石柵の上まで敷詰める。――ところが、大漁といううちにも、その時は、また夥多《おびただし》く鰯があがりました。獅子浜在の、良介に次吉《じきち》という親子が、気を替えて、烏賊釣《いかつり》に沖へ出ました。暗夜《やみ》の晩で。――しかし一|尾《ぴき》もかかりません。思切って船を漕戻《こぎもど》したのが子《ね》の刻過ぎで、浦近く、あれ、あれです、……あの赤島のこっちまで来ると、かえって朦朧《もうろう》と薄あかりに月がさします。びしゃりびしゃり、ばちゃばちゃと、舷《ふなべり》で黒いものが縺《もつ》れて泳ぐ。」
「鼠。」
「いや、お待ち下さい、人間で。……親子は顔を見合わせたそうですが、助け上げると、ぐしょ濡れの坊主です。――仔細《しさい》を聞いても、何にも言わない。雫《しずく》の垂る細い手で、ただ、陸《おか》を指《ゆびさ》して、上げてくれ、と言うのでしてな。」
「可厭《いや》だなあ。」
「上げるために助けたのだから、これに異議はありません。浜は、それ、その時大漁で、鰯の上を蹈《ふ》んで通る。……坊主が、これを皆食うか、と云った。坊主だけに鰯を食うかと聞くもいいが、ぬかし方が頭横柄《ずおうへい》で。……血の気の多い漁師です、癪《しゃく》に触ったから、当り前《めえ》よ、と若いのが言うと、(人間の食うほどは俺《おれ》も食う、)と言いますとな、両手で一|掴《つか》みにしてべろべろと頬張りました。頬張るあとから、取っては食い、掴んでは食うほどに、あなた、だんだん腹這《はらば》いにぐにゃぐにゃと首を伸ばして、ずるずると鰯の山を吸込むと、五|斛《こく》、十斛、瞬く間に、満ちみちた鰯が消えて、浜の小雨は貝殻をたたいて、暗い月が砂に映ったのです。(まだあるか、)と仰向《おあおむ》けに起きた、坊主の腹は、だぶだぶとふくれて、鰯のように青く光って、げいと、口から腥《なまぐさ》い息を吹いた。随分大胆なのが、親子とも気絶しました。鮟鱇《あんこう》坊主《ぼうず》と、……唯今でも、気味の悪い、幽霊の浜風にうわさをしますが、何の化ものとも分りません。――
 といった場処で。――しかし、昨年――今度の漂流物は、そんな可厭《いや》らしいものではないので。……青竹の中には、何ともたとえがたない、美しい女像がありました。ところが、天女のようだとも言えば、女神の船玉様の姿だとも言いますし、いや、ぴらぴらの簪《かんざし》して、翡翠《ひすい》の耳飾を飾った支那《しな》の夫人の姿だとも言って、現に見たものがそこにある筈《はず》のものを、確《しか》と取留めたことはないのでございますが、手前が申すまでもありません。いわゆる、流れものというものには、昔から、種々の神秘な伝説がいくらもあります。それが、目の前へ、その不思議が現われて来たものなんです。第一、竹筒ばかりではない。それがもう一重《ひとえ》、セメン樽《だる》に封じてあったと言えば、甚しいのは、小さな櫂《かい》が添って、箱船に乗せてあった、などとも申します。
 何しろ、美《うつくし》い像だけは事実で。――俗間で、濫《みだり》に扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間《ちかま》の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も経《た》たないのに、寺から世話人に返して来ました。預った夜《よ》から、いままでに覚えない、凄《すさま》じい鼠の荒れ方で、何と、昼も騒ぐ。……(困りましたよ、これも、あなたのお話について言うようですが)それが皆その像を狙《ねら》うので、人手は足りず、お守をしかねると言うのです。猫を紙袋《かんぶくろ》に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。あと、二度までも近在の寺に頼んだが、そのいずれからも返して来ます。おなじく鼠が掛《かか》るので。……ところが、最初の山寺でもそうだったと申しますが、鼠が女像の足を狙う。……朝顔を噛《か》むようだ。……
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