すなおな、柔かな、細々した、その長うございましたこと。……お嬢様。」
「いいえ、私のは。」
 ついした様で、鬢《びん》へ触った。一うち、という眉が凜《りん》として、顔の色が一層|白澄《しろず》んだ。が、怪しい黒髪に見くらべたらしい女房の素振を憎んだのでなく、妙な話が身に沁《し》みたものらしい。
 女房の言《ことば》を切って、「いいえ」と云ったのは、またそんな意味ではなかったのである。
「あれ、変な人が、変な人が……」
 変な人が、女房の正面《まおもて》へ、写真館の前へ出たのであった。

       十一

「こむ僧でしょうか、あれ、役者が舞台の扮装《なり》のままで写真を撮って来たのでしょうか。」
 と伸上るので、お嬢さんも連れられて目を遣《や》った。
 この場末の、冬日の中へ、きらびやかとも言ッつべく顕《あら》われたから、怪しいまで人の目を驚かした。が、話の続きでも、学生を悩ました一筋の黒髪とはいささかも関係はない。勿論揃って男で、変な人で、三人である。
 並んだ、その真中《まんなか》のが一番脊が高い。だから偉大なる掌《て》の、親指と、小指を隠して、三本に箔《はく》を塗り、彩色したように見えるのが、横通りへは抜けないで、ずんずん空地の前を、このお伽堂へ押して来た。
 下駄と下駄の音も聞える。近づいたから、よく解る。三人とも揃いの黒|羽二重《はぶたえ》の羽織で、五つ紋の、その、紋の一つ一つ、円か、環の中へ、小鳥を一羽ずつ色絵に染めた誂《あつら》えで、着衣《きもの》も同じ紋である。が、地《じ》は上下《うえした》とも黒紬《くろつむぎ》で、質素と堅実を兼ねた好みに見えた。
 しかし、袴《はかま》は、精巧|平《ひら》か、博多か、りゅうとして、皆見事で、就中《なかんずく》その脊の高い、顔の長い、色は青黒いようだけれども、目鼻立の、上品向きにのっぺりと、且つしおらしいほど口の小形なのが、あまつさえ、長い指で、ちょっとその口元を圧《おさ》えているのは、特に緞子《どんす》の袴を着した。
 盛装した客である。まだお膳も並ばぬうち、譬喩《たとえ》にもしろ憚《はばか》るべきだが、密《そっ》と謂《い》おう。――繻子《しゅす》の袴の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》とるよりも――とさえいうのである。いわんや……で、綾《あや》の見事さはなお目立つが、さながら紋緞子の野袴である。とはいえ、人品《ひとがら》にはよく似合った。
 この人が、塩瀬の服紗《ふくさ》に包んだ一管の横笛を袴腰に帯びていた。貸本屋の女房がのっけに、薦僧《こもそう》と間違えたのはこれらしい。……ばかりではない。
 一人、骨組の厳丈《がっちり》した、赤ら顔で、疎髯《まだらひげ》のあるのは、張肱《はりひじ》に竹の如意《にょい》を提《ひっさ》げ、一人、目の窪んだ、鼻の低い頤《あご》の尖《とが》ったのが、紐に通して、牙彫《げぼり》の白髑髏《しゃれこうべ》を胸から斜《ななめ》に取って、腰に附けた。
 その上、まだある。申合わせて三人とも、青と白と綯交《ないま》ぜの糸の、あたかも片襷《かただすき》のごときものを、紋附の胸へ顕著に帯《たい》した。
 いずれも若い、三十|許少《わずか》に前後。気を負い、色|熾《さかん》に、心を放つ、血気のその燃ゆるや、男くささは格別であろう。
 お嬢さんは、上気した。
 処へ、竹如意《ちくにょい》と、白髑髏である。
 お嬢さんはまた少し寒気がした。
 横笛だけは、お嬢さんを三人で包んで立った時、焦茶の中折帽を真俯向《うつむ》けに、爪皮《つまかわ》の掛《かか》った朴歯《ほおば》の日和下駄を、かたかたと鳴らしざまに、その紋緞子の袴の長い裾を白足袋で緩く刎《は》ねて、真中の位置をずれて、ツイと軒下を横に離れたが。
 弱い咳をすると、口元を蔽《おお》うた指が離れしなに、舌を赤く、唇をぺろりと舐《な》めた。
 貸本屋の女房は、耳朶《みみたぶ》まで真赤《まっか》になった。
 写真館の二階窓で、荵《しのぶ》の短冊とともに飜《ひるがえ》った舌はこれである。
 が、接吻と誤《あやま》ったのは、心得違いであろう。腰の横笛を見るがいい。たしなみの楽の故に歌口をしめすのが、つい癖になって出たのである。且つその不断の特異な好みは、歯を染めているので分る。女は気味が悪かろうが、そんなことは一向構わん、艶々として、と見た目に、舌まで黒い。

       十二

「何とかいったな、あの言種《いいぐさ》は。――宴会前で腹のすいた野原《のっぱら》では、見るからに唾《つば》を飲まざるを得ない。薄皮で、肉|充満《いっぱい》という白いのが、妾《めかけ》だろう、妾に違いない。あの、とろりと色気のある工合がよ。お伽堂、お伽堂か、お伽堂。」
 竹如意が却って一竹箆《ひとしっぺい》食《くら》い
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