そうなことを言う。そのかわり、悟った道人のようなあッはッはッはッ。
「その、言種がよ、「ちとお慰みに何ぞごらん遊ばせ。」は悩ませるじゃないか。借問《しゃもん》す貸本屋に、あんな口上、というのがあるかい。」
「柄にあり、人により、類に応じて違うんだ。貸本屋だからと言って、股引《ももひき》の尻端折《しりはしょり》で、読本《よみほん》の包みを背負って、とことこと道を真直《まっす》ぐに歩行《ある》いて来て、曲尺形《かねじゃくがた》に門戸《もんかど》を入って、「あ、本屋でござい。」とばかりは限るまい。あいつ妾か。あの妾が、われわれの並んで店へ立ったのに対して、「あ、本屋とござい。」と言って見ろ、「知ってるよ。」といって喧嘩《けんか》になりか、嘘にもしろ。」とその髑髏《しゃれこうべ》を指で弾《はじ》く。
「いや、その喧嘩がしたかった。実は、取組合《とっくみあ》いたいくらいなものだった。「ちと、お慰みにごらん遊ばせ。」……おまけに、ぽッと紅《あか》くなった、怪しからん。」
「当る、当る、当るというに。如意をそう振廻わしちゃ不可《いか》んよ。」
 豆府屋の親仁《おやじ》が、売声をやめて、このきらびやかな一行に見惚《みと》れた体で、背後《あと》に廻ったり、横に出たり、ついて離れて歩行《ある》くのが、この時一度|後《うしろ》へ退《しざ》った。またこの親仁も妙である。青、黄に、朱さえ交った、麦藁《むぎわら》細工の朝鮮帽子、唐人笠か、尾の尖《とが》った高さ三尺ばかり、鯰《なまず》の尾に似て非なるものを頂いて。その癖、素銅《すあか》の矢立《やたて》、古草鞋《ふるわらじ》というのである。おしい事に、探偵ものだと、これが全篇を動かすほど働くであろう。が、今のチンドン屋の極めて幼稚なものに過ぎない。……しばらくあって、一つ「とうふイ、生揚《なまあげ》、雁《がん》もどき」……売声をあげて、すぐに引込《ひっこ》む筈《はず》である。
 従って一行三人には、目に留めさせるまでもなければ、念頭に置かせる要もない。
「あれが仮に翠帳《すいちょう》における言語にして見ろ。われわれが、もとの人間の形を備えて、ここを歩行《ある》いていられるわけのものじゃないよ。斬るか、斬られるか、真剣抜打の応酬なくんばあるべからざる処を、面壁九年、無言の行だ。――どうだい、御前《ごぜん》、この殿様。」
「お止《よ》しよ、その御前、殿様は。」
 と、横笛の紋緞子が、軽くその口を圧《おさ》えて、真中《まんなか》に居て二人を制した。
「あれだからな、仕方をしたり、目くばせしたり、ひたすら、自重謹厳を強要するものだから、止《や》むことを得ず、口を箝《かん》した。」
「無理はないよ、殿様は貸本屋を素見《ひやか》したんじゃない。――見合の気だ。」
 とまた髑髏を弾く。
「串戯《じょうだん》じゃありません。ほほほ。」
「ああ、心臓の波打つ呼吸《いき》だぜ、何しろ、今や、シャッターを切らむとする三人の姿勢を崩して、窓口へ飛出したんだ。写真屋も驚いたが、われわれも唖然とした。何しろ、奢《おご》るべし、今夜の会には非常なる寄附をしろ。俥《くるま》がそれなり駆抜けないで、今まで、あの店に居たのは奇縁だ。」
「しかし、我輩は与《くみ》しない。」
「何を。」
「寂しい、のみならず澄まし切ってる、冷然としたものだ。」
「お上品さ、そこが殿様の目のつけ処よ。」

       十三

「……何しろ、不思議な光景だった。かくして三人が、ほとんど無言だ。……」
「ほとんど処か全然無言で。……店頭《みせさき》をすとすと離れ際に、「帰途《かえり》に寄るよ。」はいささか珍だ。白い妾に対してだけに、河岸の張見世《はりみせ》を素見《すけん》の台辞《せりふ》だ。」
「人が聞きますよ、ほほほ、見っともない。」
 と、横笛が咳《しわぶき》する。この時、豆府屋の唐人笠が間近くその鼻を撞《つ》かんとしたからである。
「ところで、立向って赴く会場が河岸の富士見楼で、それ、よくこの頃新聞にかくではないか、紅裙《こうくん》さ。給仕の紅裙が飯田町だろう。炭屋、薪屋《まきや》、石炭揚場の間から蹴出しを飜して顕われたんでは、黒雲の中にひらめく風情さ。羅生門に髣髴《ほうふつ》だよ。……その竹如意はどうだい。」
「如意がどうした。」
 と竹如意を持直す。
「綱が切った鬼の片腕……待てよ、鬼にしては、可厭《いや》に蒼白《あおじろ》い。――そいつは何だ、講釈師がよく饒舌《しゃべ》る、天保水滸伝《てんぽうすいこでん》中、笹川方の鬼剣士、平手造酒猛虎《ひらてみきたけとら》が、小塚原《こづかっぱら》で切取って、袖口に隠して、千住《こつ》の小格子を素見《ひやか》した、内から握って引張《ひっぱ》ると、すぽんと抜ける、女郎を気絶さした腕に見える。」
「腰の髑髏が言わせますかね
前へ 次へ
全38ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング